『1917』は何を伝えようとしたのか 長回しの意味、監督の作家性、宗教的モチーフから考察

『1917』は何を伝えようとしたのか

実際の証言と異なる戦争描写

 その一方で、本作の舞台となっている、第一次大戦における西部戦線の描き方には違和感を与えられる箇所が少なくない。この物語は、実際にイギリス軍の伝令兵をつとめていた監督の祖父の経験が基になっていることが、本作では文字として表示される。幼いサム・メンデスは、祖父の膝の上で、戦場での様々な出来事を聞いたのだという。その体験は本作のディテールにも生きているはずだが、攻撃中止の伝令などは創作だという。

 同時期に公開中の、ピーター・ジャクソン監督によるドキュメンタリー『彼らは生きていた』は、同じように西部戦線の模様をとらえた当時の映像を修復し、実際の兵士たちの声を収録した音源を使用して、あの場所で本当は何があったのかを伝えている。生き残った兵士の証言によると、危険地帯に行かされた兵士たちは、「命令に違反したら殺す」と、上官に銃剣で脅されていたという。兵士たちは、命令違反で殺されるよりはと、敵陣に向けて死地へと進まされたのだ。そして、最終的にそのほとんどが死亡することになった。

 『1917 命をかけた伝令』では、実際にその場にいた兵士たちが証言しているような、おびただしい数の兵士が死ぬ場面や、嫌がり怯える兵士たちの背中に、上官が銃剣を突きつけて脅す場面はない。

 では本作は、戦争の真実をただねじ曲げただけの作品なのだろうか。実際にはなかったことを描くことで、何を伝えたいのだろうか。その答えは、やはり映画のなかにある。

“スカイフォール”に見る神秘的構造

 ここで、過去にサム・メンデスが監督した、『007 スカイフォール』(2012年)の話をしたい。イギリスの有名スパイアクション・シリーズの一作として有名な作品だが、ここでメンデスは、ジェームズ・ボンドが調子を崩し、敵に歯が立たないという展開を描いた。

 ここでテーマにされていたのが、イギリスという国そのものの失墜と復活である。政治、経済、文化など、あらゆる面で影響力が小さくなっていく今日のイギリスにとって、もともと世界を救う荒唐無稽な存在であるジェームズ・ボンドのリアリティは、さらにギャグのような陳腐なものでしかなくなってきている。では、そこでイギリスがもう一度誇りを持つためには、何が必要なのかというのが、作中に描かれているのである。

 ダニエル・クレイグ演じるボンドは、出身地であるスコットランドに帰郷し、悲劇的な歴史が残るグレンコーの荒野にある、自分の育った家で強敵を待ち構える。それは、いつも外国を飛び回るボンドにとって珍しい行動だ。ボンドは、地下にもぐり、火に追われ、爆風と戦い、水に沈む。そして、その果てに敵を倒す力を取り戻すのである。その姿は、やはりロジャー・ディーキンスの撮影によって、神秘的とすらいえる映像美で表現される。

 地水火風の四元素。それを神格化した精霊は、『アナと雪の女王』(2019年)にも描かれた、キリスト教化以前より北欧で信じられてきた、北欧神話における概念だ。現在のイギリス人の多くのルーツは、北欧神話を信仰していたゲルマン人にあるとされている。つまりメンデスは、イギリスのルーツを遡れるだけ遡り、太古の姿を残す土地でボンドに神話的な儀式を施し、神話のレベルでイギリスの権威を復活させようとしたのではないのか。

 そのように、神話に根拠を求める試みは、権威主義的で保守的な印象を与えられるところがあるが、そんな神秘的な『007 スカイフォール』が、イギリスでとくに大ヒットを記録したことは事実だ。そのような内向きな空気が、現実の“ブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)”にまでつながっていると言ったら、言い過ぎだろうか。『1917 命をかけた伝令』の構造は、この『007 スカイフォール』によく似ているところがある。

サム・メンデスの作家性の核となるもの

 主人公が川に仰向けで浮かんで流れていくシーンは、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』を基に描かれた、ジョン・エヴァレット・ミレーの有名な絵画『オフィーリア』(1852年)を連想させる。

 イギリス「ラファエル前派」の代表的な作品であるこの絵画は、細密で写実的な自然描写を行いながら、同時に神秘的な象徴となるものを画面に紛れ込ませている。オフィーリアの周りには、季節の異なる草花が同時に生え、リアリティとしてはあり得ない一場面になっているのである。そんな存在しないはずの草花の一つひとつが、ここでは、それぞれが文化的に背負っている記号的な意味となって、一種の文学的な価値を絵画作品に与えている。

 そして、このような手法は、文学をはじめとする文化運動である「自然主義」や、美術に起こる「印象派」のカウンターとなった、“象徴主義”と呼ばれる、表現者の持つ理想を具象化する美術運動の先駆けとなっている。

 アカデミー賞でメンデス監督が、作品賞、監督賞を含む5部門を受賞した、『アメリカン・ビューティー』(1999年)では、ビニール袋が風に翻弄される光景が、真に美しいものとして映し出される。そんなただのありふれた物理現象に価値を与えるのは、そこに何か人生の本質のようなものを見出そうとするからだ。このように被写体に、より大きなものを仮託する表現こそが、メンデス監督の核となる、一種の象徴主義的な作家性なのである。

 本作では、岸に上がった主人公がずぶ濡れの服を着たままでいるが、4月とはいえ早朝にあの格好でいれば、体温が奪われ低体温症になって死に至りそうなものである。すぐ裸になって服を乾かさなければならない。だが、そんなリアリティなど笑い飛ばすように、主人公は幻想的な雰囲気が立ち込める、背の高い木々が繁る森林に導かれていく。

 森林には兵士たちが集い、戦場には不釣り合いに感じる荘厳な歌声が響く。故郷や家族を想う、兵士たちの声無き声が、そしてついに家に帰ることがかなわなかった死者の想いが歌詞に乗っているように感じられる。その情景は、北欧神話における、戦士たちの魂が集うという、ヴァルハラ宮に迷い込んだような不思議さを感じさせる。

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