広瀬すずと松岡茉優は、女優としても対極の存在に 『ちはやふる』出演から3年で驚くべき飛躍

『ちはやふる』出身俳優の現在地

 しかしこの成功には伏線があったと思う。『ちはやふる -上の句-』のパンフレットの小泉徳宏監督のインタビューによれば、『海街Diary』のさらに前、2015年『学校のカイダン』の主演が決まる前に既に広瀬すずに会っていた小泉徳宏監督は、「自分で思うような声が出せていない」という広瀬すずに簡単なボイストレーニングを課し、その効果はてきめんに現れたと語っている。「セリフは音であり歌なので、本人がイメージする声で言えなければ意味がない」という小泉徳宏監督の言葉と、『Q』の舞台パンフレットで広瀬すずが舞台稽古で言われたと語る「感情じゃなく音でやって」という野田秀樹の言葉は、新進気鋭の若き映画監督と日本を代表する舞台演出家というかけ離れた立場の2人ながら、どこか似ている。広瀬すずのインタビューを継続的に読んでいる人は、しばしば彼女が「1人カラオケをよくする」「休憩なしで何十曲も立て続けに歌う」「合唱曲を選び、一度目はソプラノで二度目はアルトで歌ったりする」と語るのを読んだことがあるのではないかと思う。それはたぶん、休日の息抜きであると同時に、ボイストレーニングでもあったのではないか。小泉徳宏監督が『ちはやふる』で広瀬すずに与えたまっすぐに遠くまで飛ぶ発声法を、彼女はその後も自主トレーニングでひそかに育て続けていたのではないか。そう考えなければ、本格的な練習期間もなく迎えた初舞台で東京芸術劇場の2階席まで鳴り響くあの鮮明な声の説明がつかないように僕には思えた。

『ちはやふる -結び-』(c)2018 映画「ちはやふる」製作委員会 (c)末次由紀/講談社

 前述の『ちはやふる -結び-』の初日舞台挨拶で、小泉徳宏監督は実は広瀬すずに対してはある種の「苦言」ともとれる言葉を贈っている。「ちょっと心配なのは、誰もが驚きひっくり返るような才能や直感力を持っていて、それだけでいいところまで突っ走れてしまうところで、もしかしたらいつか壁にぶつかる時も来るかもしれない、そういうときはこの映画を見て欲しい、俺の言いたいことは全部映画の中につまってるから」。要約すればこのような内容だった。普通、商業映画の監督というものは、初日の舞台挨拶でファンの前で主演女優にこんなことを言ったりはしない。だが小泉徳宏監督は、広瀬すずという女優が手放しの絶賛よりもそうした的確な批評を求めることを三部作の撮影の中で知っていたのだと思う。野田地図の舞台『Q』の激励に楽屋を訪れた『ちはやふる』原作者・末次由紀氏に対し(2人の交友は映画化が三部作で完結したあとも続いている)、広瀬すずは「演出家にダメ出しをされている時が一番心地よい、自分のことを見てくれているから」と答えたという。

 小泉徳宏監督が「映画の中につめこんでおいた」という広瀬すずへの助言とはどのようなものか。完結編『ちはやふる -結び-』の中で、広瀬すず演じる綾瀬千早は、幼少期からかるた強豪の福井県でエリート教育を受けてきた我妻伊織にクイーン若宮詩暢への挑戦権を奪われる。そのクライマックスの戦いで、綾瀬千早は若宮詩暢の得意とする「音のないかるた」を我が物にする。映画のオリジナルキャラクターである我妻伊織の人物造形は、幼少期からクラシックバレエや舞台の教育を受けてきた清原果耶を思わせる。正統な演劇教育を受けないまま、反射神経とセンスだけで頭角を現した広瀬すずに対して「自分の才能や資質、直感に限界を感じた時は他人に学べ、松岡茉優の理論に学べ」と小泉徳宏監督は映像の中に書き残しているように見える。

『ちはやふる -結び-』(c)2018 映画「ちはやふる」製作委員会 (c)末次由紀/講談社

 『Q』のパンフレットの中で広瀬すずは、野田演劇の手法であるスローモーションの演技について、「身体の動きを論理的に分析し頭を使わなくてはならない」とその奥深さについて語っている。

 映画『ちはやふる』三部作の撮影に1秒間1000コマ撮影できる高性能カメラ「Phantom Flex4K」が導入されたことはよく知られている。超スロー映像と映画級のクオリティを両立させるために強烈な照明が当たる中、人間の意識ではコントロールできない1000分の1秒の映像の中で広瀬すずの表情が劇的に変化していく映像は映画に鮮烈な力を与えた。野田秀樹の舞台の上で生身の演技としてスローモーションを演じる広瀬すずは、まるで『ちはやふる』でファントムが撮影した無意識の自分を、カメラの最新技術を使わずに、自分の理性と身体を共鳴させて再構築しているようだった。「身体が壁に突き当たったら頭で学べ」という意味の小泉徳宏監督の助言は、今も広瀬すずの中に生きているように見えた。

『ちはやふる -結び-』(c)2018 映画「ちはやふる」製作委員会 (c)末次由紀/講談社

 小泉徳宏監督は三部作の完結となる『ちはやふる -結び-』のラスト近くのシーンで、主人公綾瀬千早の台詞として「強くなりたい、世界一になりたい」という原作にはない言葉を書いている。ちはやふるの1巻で「かるたは他の国ではまだあんまやられてえんくて まあ難しいでの でもそれはつまり 日本で1番になったら 世界で1番ってことやろう?」と新が語るシーンが描かれたのは、もう今から十年も前のことだ。『ちはやふる』のヒットは海外にもおよび、百人一首の大会には世界からの参加者が増えた。そして映画界、演劇界にも世界の波は押し寄せている。韓国映画の世界的成功、中国という巨大なマーケットの勃興、そして世界中を一瞬でかけぬける配信サービスの登場によって、「日本で1番」が頂点の時代が終わり、すべての映画人や演劇人が「エンターテインメントの世界大会」に参加する時代がもうそこまで来ているのだ。松岡茉優、広瀬すず、清原果耶という、映画の中でクイーン戦に鎬を削る若い世代の俳優たちは、恐らくはその最初の世代、A代表の第一陣となる世代になるだろう。

 「千早振る 神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」。千年前に在原業平が詠んだ激しい恋の歌、と映画の中で何度も紹介されるこの三十一文字には、伝統と革新、過去と未来、相反する概念の止揚がある。からくれなゐとは唐紅とも韓紅とも書き、つまりそれは海外からやってきた最新の流行色、新しい時代の流れについての歌なのだ。上白石萌音演じる大江奏が映画の中で説明するように、天皇家という最も古い伝統を持つ家に生まれた恋人に対して、在原業平は「神代も知らぬ」新しい時代の到来を竜田川を流れる色に喩え、「ドアをノックするのは誰だ?」と歌ったわけだ。

 ちはやふるとは高速で回転するコマのように、運動と静止が両立した状態、荒ぶる身体を理性が制御した状態なのだ、と原作の人気キャラクター・奏ちゃんは説明する。彼女はいつも正しいことを言う。千年前に在原業平がかなわぬ恋人に歌った通り、神代も知らぬ新しい時代がそこまで来ている。その扉をノックするのは、きっと彼女たちの世代になるのだと思う。

■CDB
好きな映画や本、好きな人についてつぶやいています。
Twitter
Note
ブログ

■公開情報
『ラストレター』
2020年1月17日(金)全国東宝系にて公開
監督・脚本・編集:岩井俊二
原作:岩井俊二『ラストレター』(文春文庫刊)
音楽:小林武史
出演:松たか子、広瀬すず、庵野秀明、森七菜、小室等、水越けいこ、木内みどり、鈴木慶一、豊川悦司、中山美穂、神木隆之介、福山雅治
主題歌:森七菜「カエルノウタ」(作詞:岩井俊二/作曲:小林武史)
配給:東宝
(c)2020「ラストレター」製作委員会
公式サイト:https://last-letter-movie.jp/

『蜜蜂と遠雷』
全国公開中
出演:松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士(新人)、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、福島リラ、眞島秀和、片桐はいり、光石研、平田満、アンジェイ・ヒラ、斉藤由貴、鹿賀丈史
原作:恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫)
監督・脚本・編集:石川慶
配給:東宝
(c)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アクター分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる