『わたしは光をにぎっている』松本穂香が“絵になる”理由 『四月物語』松たか子を想起させる瞬間も

松本穂香は、なぜ「絵になる」のか?

異世界としての作られた昭和への憧憬

 本作は下町風景が残る葛飾区立石を主な舞台としている。澪がこの街で居候することになるのは、昔ながらの銭湯。一人で切り盛りする三沢京介(光石研)を手伝いながら、澪は何もできない自分を少しずつ変えていく。

 中川監督は本作の制作動機として、「失われてゆく景色をアーカイブとして残す必要」を感じたことを挙げている。映画内に街のドキュメンタリーを取る青年・緒方(渡辺大知)が登場するが、彼の行動はそのまま本作の制作動機とつながる。

 本作で取り上げられる景色は、銭湯に呑んべえ横丁、古びたラーメン屋に古びた映画館など、昭和の匂いのするものばかりだ。中川監督には、そんな昭和的な事物への憧れがあるとインタビュー(https://swamppost.com/enta/eiga/1761/)で吐露している。

 昭和的なものが平成生まれの中川監督にとって憧れの対象となっているのは興味深い。このような若者の傾向を、社会学者の宮台真司は、鈴木清順監督の『殺しの烙印』と『ピストルオペラ』の比較を比較してこう語る。

「■鈴木清順『殺しの烙印』(67)と『ピストルオペラ』(01)を学生達に見せると圧倒的に前者に反応する。理由は「懷かしい」から。確かに前者は60年代的文物のラッシュだ。アドバルーン・炊飯器・ビルヂング・ポマード髮…。でも学生達はまだ生まれていない。

■私の考えでは、彼らは個別の文物に萌えてはいない。記憶がないのだから。むしろこれら文物の背後に想像された奥行きある世界に萌えるのだ。映画内の文物は、想像された奥行きある60年代的データベースから抽出された一種のサンプルだと見なされているのだ。

■従って実際には「懷かしい」のではなく、本当は「現在の世界」よりも想像された「60年代的世界」の方が「カッコイイ」というのだ」(MIYADAI.com http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20020429

 本作に限らず、中川作品には銭湯が度々登場する。銭湯で想起されるのは裸の付き合いといった濃密な人間関係だが、中川監督もまた昭和的な文物の向こうに奥行きある、濃い人間関係を想像し、憧憬の念を抱いているのではないか。

 そんな昭和への憧憬で再構成された世界に、松本穂香はとてもよく馴染む。『ひよっこ』や『この世界の片隅に』など昭和に縁のある彼女であるが、現代の物語でありながら、昭和のノスタルジーに彩られたこの映画には、そんな彼女の雰囲気がぴったりだ。彼女自身、この役について「彼女の考え方や在り方に共感できる」と語るが、役だけでなく、映画全体が彼女の在り方に近いのではないかと思う。松本穂香は地方だけでなく昭和も似合うのだ。

 本作は、この町をある種の「異世界」として描いた。この世界には、現代が失ったゆるやかな時間の流れがある。あらゆる物事がものすごい速度で消費されていく現代社会に疲れた我々にとって本作は良質なデトックスだ。松本穂香の歩調のように、ゆっくりとした人生を送るのも悪くないと思わせてくれる作品だ。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報
『わたしは光をにぎっている』
11月15日(金)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
監督:中川龍太郎
脚本:末木はるみ、中川龍太郎、佐近圭太郎
脚本協力:、石井将、角屋拓海
出演:松本穂香、渡辺大知、徳永えり、吉村界人、光石研、樫山文枝
配給:ファントム・フィルム
(c)2019 WIT STUDIO/Tokyo New Cinema
公式サイト:phantom-film.com/watashi_hikari/

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