『きのう何食べた?』が伝えた、大切な人と共に生きていくこと 名シーンの数々を振り返る

『きのう何食べた?』が伝えた、大切な人と共に生きていくこと 名シーンの数々を振り返る

 『きのう何食べた?』(テレビ東京系)が幕を閉じた。今、胸に溢れるのは、寂しさでも、名残惜しさでもなく、「またね」と小さく手を振るような晴れやかな気持ち。この3カ月間、僕たちは(少なくとも僕は)たくさんの大事なことをこのドラマから教えてもらった。

 シロさん(西島秀俊)とケンジ(内野聖陽)。2LDK男2人暮らし。食費は、2万5千円也。いわゆるトレンディドラマに出てくるような豪華なマンションではない。あるのは、使い勝手の良さそうなカウンターキッチンと、4人掛けの木製テーブル。そして、ふたりの地味で、大きなことは何も起こらないけれど、心がほっこり温かくなる日常。そこには、人と人が生きる上で大事にしたいことがたくさんつまっていた。

 贅沢なんてしなくてもいい。でも、毎日食べるものにほんの少し知恵と手間をかけること。人に料理を振る舞われたら、ちゃんと感謝と感想を伝えること。たとえケンカしても、気まずくても、忙しくても、日々の食卓を共に囲むこと。

 共に食べるということは、共に生きるということだ。性格は正反対のふたりだけれど、毎晩同じものを食べることで、少しずつ心を寄せ合っていった。

ひとりでも生きられる時代に、ふたりで生きるということ

 忘れられない名場面はたくさんあるけれど、個人的に心に残ったのは第4話。お父さん(志賀廣太郎)の入院によってシロさんの実家は慌ただしさに揺れていた。そんなとき、ケンジが「入院の付き添いはよく手を洗うから」と言い添えてそっとプレゼントしてくれたのが、ミニタオル。そして、「家が散らかっていると気持ちが荒むから」と家事を片づけて、シロさんが心落ち着ける場所をつくってくれた。

 たぶんひとりだったら、シロさんはもっと不安だったと思う。でも、ケンジはそんなシロさんの心境を労り、想像を働かせることで、シロさんの心細さを救ってくれた。優しさとは想像力なのだと、ケンジが教えてくれた。

 今の時代、ひとりで生きていくことだってもちろんできる。それは全然寂しいことでもないし、人から咎められるようなことではない。胸を張って、ひとりで生きる人生を選びたい。でも、同じように、誰かと共に生きる人生もまた素晴らしいものだと、決して押しつけがましくないタッチで気づかせてくれたのが、この『きのう何食べた?』だった。

 最終回で「もう、俺、ここで死んでもいい」と泣きながら幸せを噛みしめるケンジにシロさんは言った。

「何言ってるんだ。死ぬなんて、そんな、そんなこと言うもんじゃないよ。食いもん、油と糖分控えてさ、薄味にして、腹八分目で、長生きしような、俺たち」

 シロさんも、ケンジも、お互いをとても大事にしている。だからケンジはちゃんと言葉にして気持ちを伝えるし、シロさんは日々の料理やさり気ない態度、心遣いで愛情を表現する。

 自他共に認める通り、もういい年をしたおっさんだ。40を過ぎたカップルが、こんなに初々しく相手を大事にできるなんて現実では難しいことかもしれない。でも、もしふたりがどうしてこんなにちゃんと相手を大事にできるのか、その理由を挙げるとすれば、ふたりが同性カップルだからなのかもしれない。

 一部地域でパートナーシップ宣誓制度が開始されているものの、現時点で日本国内において同性結婚は法的に認められていない。また、同性カップルの里親認定もまだまだレアケース。「子は鎹」と言うが、彼らが自分の子を持つことは、とても難しい。

 自分たちの関係を固定化してくれる法律も子どもも持たない彼らが、終生共に歩んでいくために必要なものは、当人同士の意志だけ。お互いが、お互いをちゃんと愛し続けること。共に生きることに、幸せを感じられること。それはもうほとんど奇跡のようなもので、だからその奇跡をどこかでなくしてしまわないように、ぎゅっと抱きしめて、大事にする。

 でもそれは同性カップルだけに限ったことではなくて。人と生きることを選んだすべての人が、本当はそうしたいと願っているのだと思う。でも、現実は思うようにいかなくて、どうしても相手に対する愛情や敬意は時と共に鮮度を失ってしまう。そして、満ち足りない想いだけが降り積もる。

 この春、シロさんとケンジの日常に多くの人が心を癒されたのは、人と共に生きていく上でいちばん大事にしたいことを、彼らが見せてくれたからなんだと、全12話を見終えて、はっきりと思った。

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