『町田くんの世界』町田くんは“善のジョーカー”? 原作とは異なるタッチで善悪を問う寓話に

『町田くんの世界』にある善悪を問う寓話性

 岩田剛典や高畑充希、そして佐藤浩市が編集長をつとめるスキャンダル誌のカメラマンを演じる池松壮亮、彼らは町田くんという弱く未熟な神父に対して、懺悔のように悪人の苦しみを吐露していく。それはかつてブルーハーツが歌った「チェインギャング」という歌の中で、鎖につながれた罪人たちが世界の歪んでいる理由を悔恨とともに問いかける切実さを思わせる。映画版の『町田くんの世界』はキリストを殺してしまった人たちの、世界についての苦しみの物語なのだ。

 映画版の『町田くんの世界』の冒頭では、バスの中で町田くんについて女子生徒が会話する「キリストって呼ばれてる」「ああいう危ないやつが事件起こすんだよ」という相反した批評によって主人公が紹介される。たぶんその両方として映画は町田くんを描いているのだと思う。「子供のころに井戸に落ちて頭を打ち、人よりも劣った能力しか持てなくなった」という町田くんは、映画版ではある種の欠落をかかえた少年、弱者や劣者の象徴として描かれている。かつて90年代に起きた少年犯罪以来、日本のフィクションは取り憑かれたように「幼児期に倫理感が欠落したサイコパス少年」というキャラクター造形を描き続けてきた。海外でも『羊たちの沈黙』や『ダークナイト』で「高度な知性を持った純粋な悪」のモチーフは繰り返し描かれる。この映画で描いているものはそのアンチテーゼであり陰画、いわば善意以外のものが欠落してしまった「善のジョーカー」としての町田くんである。ジョーカーが人々の中に眠る悪を目覚めさせ、ハンニバル・レクターがクラリス捜査官の倫理を揺さぶるように、町田くんは善の側からこの世界を揺り動かし、悪人たちに問いかけるのだ。

 映画の重要なアレンジは最後のシークエンスにも隠されている。町田くんによって価値観を揺さぶられ、悪の苦しみを吐露してきた周囲の人物たちは、最後のシークエンスで町田くんに「小さな悪」を教える。それは人が人を愛することの中にあるエゴイズム、個人が個人であるために必ず必要な自我という悪である。エゴの肥大に苦しみ、自らを破綻させてきた悪人たちが、町田くんの善意と交換するように、ほんの少しだけ町田くんのために悪を分け与え、彼を支えるクライマックスは、まるでドストエフスキーの『罪と罰』で、金貸しの老婆を殺した青年にわずかな善意が芽生える最も有名な結末の裏返しのようにも見える。町田くんが「善のラスコーリニコフ」であるように、彼が恋する猪原さんは、いわば「悪のソーニャ」として町田くんのエゴを少しだけ目覚めさせるのだ。マジックリアリズムを駆使した演出を含め(このシーンに戸惑った観客も多いと思うが)映画版の町田くんはそうした、善と悪と世界の寓話として描かれている。「地獄への道は善意で舗装されている」というのは愚かな善人を揶揄する決まり文句であるが、映画のクライマックスで町田くんが走るのは、善と悪が複雑に敷き詰められた現実と未来への道だ。それは原作とは少しニュアンスが違うものの、十二使徒が福音書で描くキリストが少しずつ違うように、別の角度から描かれたある一人の少年の美しい肖像なのだと思う。

 もともと少女漫画の定型から離れてヒットした原作なのだが、さらに前衛的な構成に戸惑った観客も多い。しかしこれはプロデューサー北島直明氏が惜しげなく投じるべき資金を投じて制作した優れた映画化だと思う。(この映画は石井裕也監督のキャリアとともに今後再評価されていくし、北島直明Pの手腕はやがて川村元気氏と並び称される域に達していくと思う)50億突破の『キングダム』、三部作で40億を超える『ちはやふる』のような興行収入はもたらさないかもしれないが、これは聖書の中に出てくる迷える一匹の羊を探し当てたように、日本映画界にとって貴い一作であると思う。

 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。(マタイによる福音書18章12-13節より) 

■CDB
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■公開情報
『町田くんの世界』
全国公開中
出演:細田佳央太、関水渚、岩田剛典、高畑充希、前田敦子、太賀、池松壮亮、戸田恵梨香、佐藤浩市、北村有起哉、松嶋菜々子
監督・脚本:石井裕也
脚本:片岡翔
原作:安藤ゆき『町田くんの世界』(集英社マーガレットコミックス刊)
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)安藤ゆき/集英社 (c)2019 映画「町田くんの世界」製作委員会
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/machidakun-movie/

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