『なつぞら』東洋動画のモデルとなる人々は? 日本の「漫画映画」の礎築いた東映動画のレジェンド

 NHK連続テレビ小説『なつぞら』がアニメーター編に突入し、視聴率も上昇中だ。東洋動画に入社した奥原なつ(広瀬すず)を取り巻く人々に、モデルと思われる人物がいるのはよく知られている。ここでは作中のエピソードと絡めて解説していきたい。

予告編に顔を出すワンマン社長

 1956年、東洋動画の入社試験に臨んだなつの前に現れたのは、東洋映画社長・大杉満(角野卓造)。モデルとされているのは東映の社長、大川博。東映の事実上の創業者であり、東映動画(現・東映アニメーション)を設立したが、ワンマンな性格で知られた。大杉の口癖は「アータ」だが、これは大川の口癖「チミィ」から採られている。

 面接でなつが「社長の宣伝もすごい面白かったです」「あんなの初めて見ました」と口を滑らせたのは、長編アニメーション『白蛇姫』の予告のこと。実際に大川は『白蛇伝』(58年)の予告に自ら登場し、作品と東映動画のスタジオをPRしていた。また、大杉はなつの兄・咲太郎(岡田将生)が関わっていた演劇をプロレタリア演劇の流れを汲むものとして忌み嫌っていたが、大川も労働運動とは極めて相性が悪く、東映動画では労働組合とそれを潰そうとする大川との間で長期にわたる激しい労働争議が繰り広げられた。

 大杉が作画課に挨拶に来て、女性は結婚して子どもを産んだら退社することが前提のような話をしてなつが腹を立てる場面があるが、当時の東映動画には明らかな女性差別があり、女性スタッフの給与は低く抑えられ、入社時には「結婚したら退職します」と誓約書を書かされることもあった(朝ドラ『なつぞら』広瀬すずヒロインのモデル・奥山玲子さんの全て | FRIDAYデジタル)。逆に言えば、結婚したら退職しそうな女性ばかり採用していたとも言える。そのような会社に真っ向から反発したのが、奥原なつのモデルとされる奥山玲子だった。

当時の日本アニメーション最高のスタッフ

 なつの才能を高く評価するアニメーターのリーダー、仲努(井浦新)のモデルとされているのは、東映動画発足当初から参加していた森康二。東映動画には発足当時から参加しており、多くの後進を指導した。動物キャラを得意としており、仲がなつに渡したセル画は、森が原画と演出を務めた短編『子うさぎものがたり』(54年)をモチーフにしている。また、なつが“薪割り”の動画に挑戦する場面があるが、これは森が実際に課題として出していた“杭打ち”がモデルになっている(「となりのトトロ」作画監督佐藤好春が朝ドラ「なつぞら」で薪割り原画を描いたわけ、聞いてきた - エキサイトニュース)。

作画汗まみれ 改訂最新版
作画汗まみれ 改訂最新版 (文春ジブリ文庫)

 仲は女子社員に大人気だが、森も女子社員に人気だったらしい。ただし、後に痩せたが『白蛇伝』の制作当時は太っていたという(大塚康生『作画汗まみれ』文春ジブリ文庫)。髭を生やしていて一見近づき難いが、とても優しく、若手スタッフにも丁寧に仕事を教えていた(トークイベント「日本の長編アニメーションはここから始まった」が開催されました|練馬アニメーションサイト)。『わんぱく王子の大蛇退治』(63年)では日本初の作画監督に就任している。

 仲とともに原画、動画スタッフのまとめ役をしているのが井戸原昇(小手伸也)。彼のモデルとされているのが大工原章。『白蛇姫』はほぼ二人だけで原画を描いていたと語られていたが、実際に『白蛇伝』も森と大工原の二人で原画を担当した。その後も数多くの作品に作画監督として携わっている。

 森の原画は非常に繊細で演技もキメが細かったが、大工原の原画は大胆で荒々しかった。若いスタッフに仕事を任せるときも、森はなかなか任せない一方、大工原は思い切って自由にやらせていたという。

 仲に説得され、なつに再度試験の機会を与えた演出家の露木重彦(木下ほうか)。モデルとされているのは演出家の藪下泰司。東映動画の基盤となった日本動画(後に日動映画)に所属していた頃から演出を担当。『白蛇伝』をはじめ、東映動画初期の数々の長編アニメーション作品の演出を務めた。アニメーション制作の技術書の草分けだった『漫画映画とその技術』という書籍も著している。

 アニメーターの大塚康生は、森康二、大工原章、薮下泰司と、日動映画の社長で東映動画では取締役を務めた演出家・プロデューサーの山本善次郎について、「当時の日本アニメーション界の名実ともに最高のスタッフで、東映動画の技術的基礎を打ち立てた4人」と記している(前掲書)。

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