笠松将、初めて明かす“役者”への思い 「1番になるまでは絶対にやめられない」

笠松将、初めて明かす“役者”への思い

一度僕に興味を抱いてくれたなら信じて欲しい

笠松将

ーー最近は『響 -HIBIKI-』や『デイアンドナイト』などの映画、そして地上波のドラマにも出ていますが、ファンが増えてきた実感はありますか?

笠松:少し棘のある言い方になってしまいますが、僕は俳優という仕事をファンの方のためにやっていないし、日本映画界のためにもやっていないです。もっと言えば、自分のためでもないです。自分が選んでこの道を選択してしまったからには、1番になるまでは絶対にやめられないという思いです。だから、芝居を楽しいとは思ったことはないですし、芝居自体も好きじゃないです。とてもしんどいことだと思っているので、「芝居が楽しい」という感覚が理解できないんです。でも芝居をする苦しさに共感して欲しいわけでもないので、だからこそ、ちゃんとやらなきゃいけないと考えています。そんなところがあるからか、観てくださる方々は、僕のことを信用しにくいのだと思います。でも、一度僕に興味を抱いてくれたなら、大切にするし裏切らないから信じて欲しいです。ついてきてくれるのだったらもっといいものを見せることができる、そんな気持ちでいます。本当にここ最近になってから、ようやく認識していただいて、声をかけてくださることも出てきました。

ーー芝居は好きじゃないとのことですが、そもそもどういう経緯で俳優を始めたのですか?

笠松:高校2年生の時に、地元である名古屋・栄でスカウトされたことがありました。それが「俳優」という職業を初めて意識した時で、自分が特別なものに思えてすごく嬉しかったのですが、その時点ではとくに興味もなかったのでお断りしました。でも進路選択のタイミングで、母親から「4年間大学に通うものだと思って、東京で頑張ってみれば?」と言われたんです。「4年間好きにやってみて、面白くなかったら帰ってくればいいじゃない」と。それまでの僕は、何をやってもある程度こなせるタイプだったんです。だから、“夢を追う”みたいなことに対して冷笑的でした。元々がそうだからか、いざ東京にやってきて何も上手くいかないことに、すごく打ちのめされました。芝居をするという環境を自ら選んだのに、実態はある程度どころかまるで太刀打ち出来ない年月が続いたので、芝居が好きじゃないという感覚があるのかもしれません。

ーー共演者や監督との関係性の中で、「やっぱり俳優楽しいかも」と思うことは?

笠松:もちろん一緒に作品を作ったり話したりして楽しいことはたくさんあります。ただ、それって芝居自体とは無関係のもので、俳優をやってる中で生まれる“おまけ”みたいなものだと思っています。芝居をすることについての楽しさは、本当にないんです。

ーー自分のイメージした演技ができた時など、“達成感”みたいなものはどうですか?

笠松:イメージしていたことができた自分に「やったー」というよりは、その壁を作り手側みんなで超えた瞬間が僕は好きなだけです。俳優という仕事はすごく底辺にあるものだと思っています。監督、プロデューサー、撮影部、録音部、照明部の方々みたいに何かに特化しているわけでもなくて、資格もない。スタッフの仕事を現場で見ていると、本当にちゃんとやらなきゃいけないなと思いますし、自分たち俳優のやってることって本当に大したことないことだなと。だから、誰かの仕事に対してすごいと思うことはあっても、自分がやったことに関しては本当に何も思いません。ダメダメだなと思うことばかりです。ここまで俳優という職業に関するお話をしてきましたが、「楽しくない」という表現も正しくはないような気もしてはいます。

ーーそこがまた、観ている側には伝わらない、俳優の難しさでもあるのかと思います。やっていく中で変わってきたことはありますか?

笠松:最初の頃は、やることだけやっていればいいと思っていました。監督側が求めるパフォーマンスさえやれればいいのだと。でもいまは、最低限のコミュニケーションは大切にしたいというか、以前よりもどんどん気持ちがフラットになってきています。変なセルフプロデュースみたいなものはなくなりましたね。

笠松将

ーー演技レッスンの経験はあるんですか?

笠松:18歳か19歳の時、1度だけワークショップに参加しました。参加費が10万円くらいで、何カ月かかけて実施するものでした。右も左も分からない状況での参加だったんですが、先生は神様扱いされていて、そこでの優等生がみんなの目標。「◯◯監督の助監督でした」みたいな方が先生だったんですけど、「じゃあ、つまりあなたは誰ですか?」「人の名前で飯食ってるじゃん」なんてことを今なら思いますが(笑)、その時はやっぱりその先生が神様だったので、言われたことに必死になっていました。でもある時、僕はその瞬間に思ったことや感じたことを一生懸命に表現したんですけど、あちらからしたら“ナメてる”と見えたらしく、人格否定されるほどにめちゃくちゃに怒られました。

ーー人格否定されるほど……。

笠松:あの時は本当に俳優を諦めようかと思いました。でも、地元に帰る勇気もないし、親にも言えなくて……。その経験が強すぎて、ワークショップなどは基本的に行かないのですが、一度だけ大森立嗣監督のワークショップに参加しました。それはすごく刺激的なもので、こんなにいいワークショップもあるのだと知りました。

ーーやはりそういうところでは、笠松さん的にもいい役者だと思える方々が揃ってますか?

笠松:いや、そうでもなかったです(笑)。指定された3枚ぐらいの台本も入っていない人すらいました。僕は、ワークショップやオーディションでできないことは、本番でも絶対にできないと考えています。だから、現場で自分で見て学びたいという思いが常にあります。やっぱり、現場に行けばすごい俳優たちがいっぱいいますから。他の職業だと、まだ経験の浅い者が第一線でやっているプロフェッショナルの人たちと関われる機会は少ないですけど、僕らのこの仕事は、一流の人たちとしか仕事できないのが素晴らしいなと思います。

ーー現場に行けば一流の人がいるという考え方は、考えてみれば確かにそうですね。

笠松:とはいえ、最初はエキストラでしたけどね。

ーーでは本当に、我流で演技というものを掴んでいった感じなんですね。

笠松:やっていく中で全然分からなくなってくると、現場の先輩や知り合いの助監督の方に聞いてみたりします。それでも、自分の演技に対して“なんか違う”という感覚は絶えず生まれてきます。その“なんか違う”を繰り返していくと、どこかで“これだ”と思える瞬間がある。なので我流というのとも、また違いますかね。

ーー作品の規模によって現場も変わってきますが、仕事に臨む上でその違いはありますか?

笠松:大きい作品に出演が決まったから嬉しいというよりも、「一流の“この人”と芝居できるんだ」という感覚の違いはあります。でも作品が決まるということは、同時にピンチだと思っています。適当なことをしたらそれも見られてしまうので。だから、自分のキャリアを振り返った時に、その時その時の1番いい状態のものを残していたいなと思います。なので作品規模によっての姿勢の違いはありません。現場で多少の悪い噂が立つことを傷だとは思いませんが、「作品の規模によっては手を抜く」などと思われてしまうのは、自分の名前に傷がつくことだと思っています。

ーー近作である『ラ』も公開規模は比較的小さめな作品ですね。

笠松:最初は配給も劇場も決まっていなかったのですが、思い入れのある作品です。あとは、神徳(幸治)監督の『さかな』(2018)です。オーディションで出演が決まったのですが、もう全力でした。神徳さんとの出会いは、セリフが一言だけの小さな役のオーディションだったのですが、その後、大きな役を振ってくださったことがありました。そんな方から『さかな』のオーディションの話がきた時に、受かることが目的ではなく、神徳さんに認めてもらいたいという思いがありました。あの時選んだ1人の若者を、今またオーディションに呼ぶということが間違っていないのだと証明したかったし、神徳さんというプロの目に改めて確認して欲しかった。それで主演に選んでもらったのは嬉しかったですね。だから作品の大小というよりも、その監督やプロデューサーへの思い入れというのは大きな要素かもしれません。

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