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“たった一度の情事”が愛し合う恋人たちを破滅に至らせる 『追想』音楽が担う重要な役割

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 愛し合う恋人たちを破滅に至らせるもの。それは、打ち克つことのできなかった甘い誘惑の時もあれば、和解しがたい軋轢の時もあるだろう。あるいは、不慮の事故のような時もあるかもしれない。5月10日にDVDがリリースされる、イアン・マキューアンによる小説『初夜』(2009年、新潮社)の映画化作品『追想』(2018年)におけるそれとは、たった一度の情事である。これから蜜月の日々を過ごすことになるであろう希望と共に初夜を迎えたフローレンス(シアーシャ・ローナン)とエドワード(ビリー・ハウル)は、初めての行為をうまく致せなかったがために、わずか6時間で結婚生活を終えてしまう。本作は彼らの過ごした時間を手繰りながら、そのたった一度の情事に秘められた一部始終を描き出していく。

 幕開けと共に流れてくるシル・オースティンの「Slow Walk」は、ここで描かれる悲愴的な物語に、あまりに似付かわしくない。静謐な空気を保ち続けるこの映画を“嵐の前の静けさ”と一言で形容することすら可能だと思えるのは、幼き恋人たちの慎ましく繊細にはぐくまれた愛が、惨事によって燃えることなく鎮火してしまうからだけではない。スウィンギング・ロンドンの到来や、性解放が大声で叫ばれていく、まさにその前夜の時代背景の中に彼らが位置し、その時代的な空気感こそが、二人の愛の佇まいを表しているからだとも言える。

 初夜を迎えたエドワードの試練は、まず脱衣から始まる。彼は、フローレンスの着ているワンピースをなかなか脱がせることができない。ベッドの上で直立に横たわる彼らの衣服は脱がされることを知らず、文化的なコードである衣服が張り付く彼らの身体は、理性のもとにひどく萎縮している。おそらく、ジャック・ドワイヨンの『ラブバトル』(2013年)などは、本作の対極にある作品だろう。一糸纏わぬ姿でまるで取っ組み合いをするように泥臭く性を貪る男と女の姿を捉える同作は、本能そのままの動物的な性を賞賛するものだった。

「可聴域からは外れずに、意味がわかりそうでわからない境界線上を駆けあがっていくバイオリン=声。言葉より原始的な歯擦音と母音で、それがしきりになにか言おうとしているようだった」――イアン・マキューアン『初夜』

 三島由紀夫の小説『音楽』では、不感症に悩む女が「感じられないこと」を「音楽が聞こえない」と換言する。つまり、ここでは性的快楽が音楽へと喩えられている。性という主題と音楽とが分かち難く結びついたこの小説のように、本作でもまた、音楽が重要な役割を担い、大部分で音楽が流れ続ける。保守的な家庭で育ち、バイオリニストであるフローレンスはクラシックを嗜み、歴史学者を目指す、自由な精神の持ち主であるエドワードはロックを好む。音楽の違いは、つまり属する文化の違いでもある。白人と黒人の心の交流を描いた映画『最強のふたり』(2011年)もそうであったように、映画において音楽は時に、異なる境遇に置かれた二人の違いを端的に示すモチーフとして機能する。本作の場合、音楽の趣向が異なることは、つまり性的不和の比喩でもある。

      

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