“黒人スパイダーマン”誕生の背景は? 『スパイダーバース』が伝えるメッセージを読み解く
1960年代に生まれたスパイダーマンは、アメコミ界のゲームチェンジャーだった。当時主流だったヒーローはスーパーマンやバットマン、つまり読者にとっては異世界に住む筋肉隆々な成人男性だったが、ピーター・パーカーはなにもかも違っていたのである。その正体は、ニューヨークで暮らす一般的な高校生で、冴えないイジめられっ子。蜘蛛に噛まれて偶然パワーを得たあとは、ヒーロー業をこなしながら学校や仕事、家賃のことで悩んでいく。スパイダーマンは、弱さと欠点を持った、人間的なヒーローだったのである。ヴィジュアルも画期的だった。全身がスーツで隠れていて細身。筋肉隆々でなくとも、白人でなくとも、共感ができる。それゆえ、たくさんの読者がこの等身大のヒーローに自己投影していった。大衆が自分と重ねられるヒーロー、これこそ、このキャラクターがスペシャルな理由だろう。
ABC Newsによると、ピーター・パーカーの登場以来、マーベル・コミックスは「個人的な問題を抱えた人間的なヒーロー」を増やしていったという。ヒーローの証しとは、美しい筋肉でも特権的な生まれでもなく、心ーースパイダーマンは、この哲学の象徴でありつづけている。映画のたび重なるリブートも、共感を呼ぶ「若者」像の更新と捉えれば腑に落ちるかもしれない。そして2015年、例のソニー幹部メール流出事件が起こる。そこで綴られた人種やセクシャリティの制限は、アメリカで受け継がれてきた「みんなスパイダーマンになれる」という理想を破壊するものだったのである。少なくとも、映画において、私たちみんながスパイダーマンになれるわけではない。スーツを着られるのは白人男性だけだったのだ……『スパイダーバース』が公開されるまでは。
『スパイダーマン:スパイダーバース』は、ヒーローのオリジンに立ち戻り、その理念をモダンにアップデートしている。この作品が打ち出すもの、それは「みんなヒーローになれる」というメッセージだ。2015年にマーベル・コミックスのメイン・ユニバース入りしたアフロ・ラティーノのマイルスを主人公に起用したことで、スパイダーマンは白人だけでないことを提示。パーソナリティの描写も見事だった。新しい学校に馴染めず、両親や叔父ともすれ違うこの少年は、新人スパイダーマンとして新たな仲間と出逢うことで、迷い傷つきながら成長していく。本作を「ひさびさにオリジナル性を感じさせるスパイダーマン映画」と評したVoxは、その成功の要因を新主人公の脆弱性だとしている。ただし、このアニメーションが提示した可能性は、肌の色に留まらない。『スパイダーバース』は、マルチ・ユニバースのスパイディたちを魅力的に描いたことで、人種やジェンダー、年齢、体型、さらには人間という境界まで破壊したのだ。腹が出た中年だろうと、我々はみな、今この世界でスパイダーマンになれる。
革新的な描写でキャラクターの原点をアップデートした『スパイダーマン:スパイダーバース』こそ、ニュー・クラシックに相応しい映画だ。スパイダーマンとは、ただ憧れられる存在ではない。ハートさえあれば、我々はみんなヒーローになれる、そう教えてくれるシンボルなのだ。この強烈なメッセージは、マイルスがコスチューム・ショップでスパイダー・スーツを購入するシーンに象徴されているだろう。当該シーンに登場したスタン・リーは、自分はヒーローに相応しくないと感じている世界中のファンに語りかけるように、スーツのサイズを気にするマイルスへこうアドバイスする。「今は合わなくても、きっとピッタリになるさ」。
■辰巳JUNK
ポップカルチャー・ウォッチャー。主にアメリカ周辺のセレブリティ、音楽、映画、ドラマなど。 雑誌『GINZA』、webメディア等で執筆。
■公開情報
『スパイダーマン:スパイダーバース』
全国公開中
製作:アヴィ・アラド、フィル・ロード&クリストファー・ミラー
監督:ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン
脚本:フィル・ロード
吹き替えキャスト:小野賢章(マイルス・モラレス/スパイダーマン役)、宮野真守(ピーター・パーカー/スパイダーマン役)、悠木碧(グウェン・ステイシー/スパイダーグウェン役)、大塚明夫(スパイダーマン・ノワール役)、吉野裕行(スパイダー・ハム役)、高橋李依(ペニー・ パーカー役)、玄田哲章(キングピン役)
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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