『3年A組』作り手と菅田将暉の姿が重なる? “展開の速さ”で視聴者惹きつける現代的ドラマの作り方
最初は教師が生徒を裁くピカレスクドラマかと思わせながら、実は柊は生徒を殺しておらず、実は余命いくばくで、命をかけてこの計画を実行したことが明らかになる。そして、影山を殺したのは、生徒ではなく教師ではないか? と視点を切り替える。
つまり話数が進むごとに設定と状況がどんどん変わっていくのだ。このような短いスパンで物語が急展開していく進み方は、今の1クールのドラマやアニメのヒット作に見られる傾向だ。
例えば、昨年放送された『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)もそういうドラマだった。はじまった当初はエリート女医と元小説家のフリーター男性との格差恋愛モノだったのが、第1話ラストで女医がアルツハイマー病の前段階の軽度認知障害だとわかり、難病モノとなっていく。そして中盤で中年男性の側が小説家として再ブレイクすると格差恋愛の要素が消えて夫婦モノの難病モノとなり、そこにヒロインと同じ病気の青年が恋のライバル役として登場するという形で、10話の中で話が何度も変わっていく。
『大恋愛』がこういった超展開の連続となったのは、恋愛ドラマにおける必勝パターンをすべてぶち込もうと思ったからだろう。
逆にいうと、今の目の肥えた視聴者には、あらゆる物語のパターンがどうなるかが、ある程度頭に入っているので、1話を見た時点でどういう話か予想がついてしまうのだ。だから、あらゆるパターンを短い期間で展開しながら、関心を持続させ、一つのジャンルをまるごと一本に圧縮したような物語となってしまうのだろう。これを学園ドラマで展開しているのが『3年A組』だ。
同じことはアニメでも起きている。『魔法少女まどか☆マギカ』なら魔法少女モノの集大成、『SSSS.GRIDMAN』なら特撮巨大ヒーローモノの集大成という感じで、そのジャンルの総決算とでも言うような怪作に仕上がっている。
これは、1クールという短い時間で物語を展開しながら、なおかつ、視聴者の関心を引き続けるために生まれた苦肉の作だとも言える。そのため昔のドラマやアニメに慣れていると、どこか居心地の悪さも感じるのだが、同時に思うのはここまでしないと見てもらえないのだ、という作り手の切迫感だ。