デル・トロ版『ピノキオ』は現代社会を照射する物語に? 制作陣の絶妙な組合わせから考える
原作が誕生した当時のイタリア社会は、1861年に統一イタリアが生まれて間もなく、国内政治も不安定な状況であった。作者のコッローディはイタリア統一戦争に従軍経験のある人物で、文化批評や政治批評などの活動を経て、イタリア国民が1つの共同体として自立できるようになるにはどうすべきかを腐心し、子ども向けの児童文学の執筆に目を向けたと言われる。晩年には教科書の仕事もしており、教育に高い関心を持った人物であった。
『ピノッキオの冒険』はイタズラ好きな操り人形のピノッキオが、世間の様々な誘惑に流され、騙されて金を奪われたり、売り飛ばされたりなど酷い目に遭いながら社会を学んでいく物語。操り人形である彼は、生命を持っていても自らの意思が弱く、まさに操り人形のように簡単に相手に騙されてしまう。そんな人形が徐々に社会の理不尽さを学び自立していき、本当の人間になるまでが描かれる。嘘をつくと鼻が伸びるというアイデアに、誠実に生きることの大切さが込められており、今日でも通用する普遍的な教育理念が多く詰まった作品だ。
原作では、ピノッキオがナイフで殺し屋たちに襲われて吊るし首になったり(木なので死にはしないのだが)、頭からぬかるみにはまったピノッキオを見て大笑いした蛇が笑いすぎて破裂して死んだりと残酷な描写もふんだんに盛り込まれている。ディズニー版では残酷描写はかなり抑えられていて、ピノキオ自身も学校に行くのを楽しみにする素直な良い子に変更されている。
しかし、人の言うことに流されず、自立心を持ち誠実に生きることの大切さを描いている点は原作と共通している。生命なきものに生命を宿すというピノキオの物語を、万物に生命を吹き込む技術であるアニメーションで描いたことでより強い説得力を生んでおり、名作として今日でも語り継がれている。物語として優れていることもさることながら、マルチプレーンカメラを用いた立体感あるセル画撮影や、『モアナと伝説の海』にも通じる海の波をはじめとするダイナミックで美しい水の描写など、技術的にも目を見張る作品だ。