『バーフバリ』などの娯楽大作だけじゃない “小さな人間ドラマ”を描くインド映画の新潮流

若手監督が生み出す、インド映画の新潮流

 本作の監督を務めたのはこれが長編第一作となるシュバシシュ・ブティアニ。1991年生まれの若者だ。クラシック映画を彷彿させる落ち着いた演出のため、その若さがしばしば驚かれるようだが、しかし本作の肝は若者の目を通してインドに古くから伝わる精神性に触れているという瑞々しさである。それを象徴するのが、ラジーヴの娘であり、ダヤにとっては孫娘に当たるスニタの存在だ。彼女はバラナシに訪れ、自分の人生の終わりを自分で決めようとしているダヤの姿を見ることで、親が薦める結婚ではない自分自身の人生を選び取ろうとするのである。監督いわくスニタは「新しい世代のインドを象徴する存在」だそうだが、彼女は自由を、現代社会に適応している父ではなく、精神世界に身を浸そうとしている祖父から学んでいくのである。ブティアニ監督がバラナシを旅したことが本作の契機となっているそうだが、彼はそこではじめて「死」を身近に感じたのだという。そしてそこから逆照射される「生」も。そうした精神的な問いは、当然忙しい日々に追われる現代の日本人にも響くことだろう。

『ガンジスに還る』(c)Red Carpet Moving Pictures

 同じくバラナシを舞台にしている『生と死と、その間にあるもの』(日本では劇場未公開、Netflixで観賞可)もまた、ガンジスと死をモチーフとすることで人生の苦しみやそれを乗り越えることを浮かび上がらせようとする作品だ。警察の高圧的な捜査によって恋人を自殺で亡くしたデヴィと、代々火葬場で働く一家の息子ディパクをおもな主人公として、自由を求める若者たちの姿をオムニバス的に描く。デヴィはある誤解から世間の好奇の目に晒されると警察に脅されるが、これはおそらくインドで若い女性が受けがちな酷い扱いを反映させたものだ。いっぽう、ディパクはカーストの差のある令嬢と恋をする。これは、火葬場で働いているのはほとんどカースト下層にいる者たちであることが背景になっている。登場人物たちの葛藤を丹念に映し出すことで、現代のインド社会が内包する問題を浮き彫りにしていくのである。

 本作もまた監督ニーラジ・ガイワンにとって初長編作であり、インド映画の新しい潮流を代表していると言えるかもしれない。デヴィもディパクも自身の恋の苦しみを受け入れることでより自由な生き方を選択しようとするのだが、ここでも「死」が重要な要素となっている。ガンジスに向かって自らが向き合うべき「死」を弔うことではじめて、自身の「生」を獲得していくのだ。

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