『ファントム・スレッド』はオートクチュールのような逸品に 巧みにデザインされた男と女の物語

『ファントム・スレッド』に漂うゴシック・ロマンス

 ロシアの文豪、トルストイいわく「愛は惜しみなく与えるもの」。それに対して、日本の作家・有島武郎は「愛は惜しみなく奪う」と言った。誰かを愛した時、自分が求めたものが得られないとしたら、それを諦めるべきなのか。それとも、惜しみなく奪うのか。ポール・トーマス・アンダーソン監督の新作『ファントム・スレッド』は、お互いに求めたものが得られなかった恋人たちの物語だ。

 物語の舞台は50年代のロンドン。ファッション界に君臨するデザイナーのレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、生涯をドレス作りに捧げてきた。仕事以外のことはまったく興味を持てず、自分の美意識のみを信じて生きてきた気難しい子供のような男だ。そんなレイノルズを見守り、レイノルズのメゾン、“ハウス・オブ・ウッドコック”を取り仕切っているのが、レイノルズの姉・シリル(レスリー・マンヴィル)。2人はどちらも独身で、“ハウス・オブ・ウッドコック”に引きこもるようにして生きていた。

 才能があってハンサムなレイノルズを女性が放っておくわけはなく、レイノルズには恋人がいた。ただ、レイノルズが女性を本気で愛することはなく、彼が求めたのは完璧なバランスを持った肉体だ。レイノルズにとって恋人は生きたマネキンであり、彼女たちが自己主張しはじめるとレイノルズは苛立ち、手切れ金代わりにドレスを与えて別れていた。そんなある日、レイノルズは別荘に向かう途中で立ち寄ったレストランで、ひとりのウェイトレスに目をとめる。彼女の名前はアルマ(ヴィッキー・クリープス)。目の覚めるような美女ではないが、彼女はレイノルズが求める理想の肉体を持っていた。

 レイノルズはアルマを別荘に招待する。そこでレイノルズは、子供の頃、初めて母親のためにドレスを縫ったことをアルマに話す。彼の生い立ちを聞きながら、彼女は偉大な芸術家のミューズになる夢を見たに違いない。田舎のレストランで働いていたアルマにとって、レイノルズは自分をつまらない日常から救い出してくれる王子様。親密な時間を過ごして2人の心が通い合うように思えた時、レイノルズがとった行動は甘いキスではなく、アルマの身体を採寸すること。いつの間にかシリルが現れて、レノルズが採寸したサイズを書き留めていく。そして、2人の奇妙な試験をパスしたアルマは、晴れてレイノルズの新しい恋人として“ハウス・オブ・ウッドコック”に迎えられ、姉弟と一緒に暮らすことになる。そこで、毎日、着せ替え人形のように次々と美しいドレスを着るアルマ。夢のような生活だが、次第にレイノルズとの関係に不協和音が生まれていく。

 毎日、仕事漬けのレイノルズはアルマが話かけてもイライラしているし、食事はいつもシリルを含めた3人。アルマはサプライズでレイノルズと2人だけの食事を計画するが、予定外のサプライズを嫌うレイノルズは怒り出して大げんかに。レイノルズと付き合うにはマネキンに徹するしかない。これまでのレイノルズの恋人たちは、そんな屈辱に耐えられず“ハウス・オブ・ウッドコック”を出て行ったがアルマは違った。彼女はレイノルズの愛を、そして、芸術家の妻という夢の生活を手に入れるために闘うことを決意する。そして物語には、ゴシック・ロマンスのような不気味さが漂い始める。

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