映画について書く・語るという行為は新たな時代に突入しているーー『映画評論・入門!』モルモット吉田インタビュー

モルモット吉田インタビュー

蓮實重彦、町山智浩、淀川長治の存在

――そんな誰もが評論家になりうる時代に、初の単著として刊行されたのが、『映画評論・入門!』と題した本書です。自らの批評軸に沿って、ちゃんとものを言う評論家を再発見すること、あるいは、今の時代に批評とは何かを喚起したいといった意図があったのでしょうか。

吉田:たとえば、町山智浩さんや、ライムスター宇多丸さんの映画評論なら読む、聴くという人は多いと思います。1本の映画に向き合う丁寧さでも、このおふたりは突出しています。一方で、ほかの人の評論には最初から目を向けないという方もいるようです。確かに、名前を挙げたおふたりは、語り手としても書き手としても一流です。でも、だからといって特定の評論家だけを盲信してしまうのは映画を知る上でもったいない。1本の映画に寄せられる複眼の視点、それこそ見当違いの意見でも、無名の人が書いた批評でも横つなぎで見ていくことが映画評論の楽しみ方でもあるんです。本書は引用が多い書籍になりましたが、書き手それぞれの文体の癖を少しは感じてもらって、そうした面白さを再現したつもりです。

――タイトルから察するに、もともとは映画評論のハウツー本にする予定もあったのですか?

吉田:最初に『別冊映画秘宝』編集長の田野辺さんから本書についてのお話をいただいたとき、映画評論のハウツー本なのであれば自分には難しいなと思いました。すでにそういった書籍も出ていますし、読者対象も狭いものになってしまう。むしろ、評論を書くことに興味がない方も読んで楽しめるという意味での〈入門!〉になればと考えました。最初は映画評論の歴史を追っていきながら、戦前・戦中・戦後の映画評論、それから蓮實重彦さんの存在や、アンチ蓮實的な考え、町山さん登場以降の『映画秘宝』の存在も含めて、日本の映画評論のフォーマットを追っていく形も考えたのですが、レジュメを作るとそれだけで1冊の本が出来上がるほどの内容に膨れてしまったんです。やはり、映画評論を書くことに興味はないけれども、読むことはあるという方に届くものにしたかったので、映画に詳しくない人が読んでも楽しめるように「北野武 VS 桑田佳祐」「『東京オリンピック』と高峰秀子」といった事例を選んで、そこで絡んでくる問題が、過去が現在を照射するような構成したつもりです。

――現在の映画評論においても、蓮實重彦的か、それともアンチ蓮實かというのはひとつの軸として、今なお影響が残っていると感じることがあります。しかし吉田さんの記事は、どちらにも属していないというか、両方の特性を持っているような印象が強い。

吉田:大学生になったころ、蓮實さんの『映画の神話学』を最初に読みました。でも、この人を読み続けると影響を受けすぎるだろうなとすぐに感じました。もう少し映画を観て、自分にとっての映画の観方が確立されてから読もうと。だから、蓮實さんの本をちゃんと読むようになったのは25歳以降でしょうか。蓮實さんは「画面の中しか読まない」と思われていますが、実は映画雑誌『リュミエール』誌の編集をされている頃からは映画史的な背景を踏まえた上での評論もされている。70年代にB級映画やプログラムピクチャーを積極的に評価されていた頃のものも好きです。

 たとえば、蓮實さんとおすぎさんは、同じ映画評論家で淀川長治さんの寵愛を受けた存在ですが、並べて語られることはない。確かに評論の書き方も映画の観方も対照的だと感じます。でも、ふたりに共通するのは映画評論を通じて映画館に客を呼び込むことなんですね。良い映画があれば、とにかく言葉を尽くして観客を呼び込もうとする。おふたりとも、映画評論家としての自身を〈劇場勧誘員〉だとか〈呼び込み屋〉と言っていましたが、そうした姿勢が共通することもあって、文章には観客予備軍の読者を動かそうとする力がありました。そういう点で蓮實さんの本も、おすぎさんの本も僕はどちらも好きでした。だからひとりからしか影響を受けないと同じような評論になりがちですが、それぞれの評論家の好きな部分だけを、いいとこ取りで自分の書くものに反映させたらいいと思います。蓮實さんのように画面を読みつつ、町山さんのように映画の背景も読み込んで、淀川長治さんのように美的感覚を盛り込んでも良い。

――名前が挙がった淀川長治さんの存在も、本書の中で大きなカギになっています。テレビにも出て、大衆にも受け入れられつつも、映画批評家としても鋭い部分を持っていた。

吉田:僕が映画に魅了されたきっかけとして、淀川さんの語りの力は大きかったように思います。3、4歳の頃だったと思うんですが、『日曜洋画劇場』の後説で最後の「サヨナラサヨナラ」のフレーズが聞きたくて、ついでに放送される映画を観ていましたから。淀川さんは語りのイメージが強いこともあり、晩年の美文調の言文一致体になってからの方が、書かれるものは面白いと思います。若い頃に書かれた評論を読むと、オーソドックスな文体ですし、宣伝会社出身の評論家として映画ジャーナリズムでの扱いは、そこまで上ではありません。逆に言うと、標準的な評論も書けて、TVで親しまれるようになった独特の感覚的な話術が文章に盛り込まれるようになってから、淀川長治の映画評論家としての魅力が花開いたと思います。その点で、町山さんや宇多丸さんは非常に明晰な言葉で喋られて、大衆性も持ち合わせている。優れた語り手であると同時に、書き手でもあるので、かつての淀川さんに最も近い存在とは言えると思います。

――本書の中で印象的だったのは、晩年の淀川さんの文章に対して批判もあったという点です。

吉田:神格化されてしまった晩年の淀川さんに対して、批判的な文章を書いたのは大阪の大学教授・重政隆文さんだけでした。90年代初頭は月に1冊出ているんじゃないかと思うぐらいのペースで淀川さんの本が次々出ていたのですが、語り下ろしで、同じような内容の人生訓的な本が多く、淀川さんの記憶に頼り切ってウラを取っていないような本もありました。淀川さんと共著を出した山田宏一さんや蓮實さんが方向付けをした『映画千夜一夜』みたいな本だと、ふたりが淀川さんの記憶を刺激して他では語ったことがない話を思い出させたりして、面白い話が出てくるんですが。その意味では、淀川さんの本は活かすも殺すも編集者の力が問われるところです。山田さんは淀川さんに怒鳴られるぐらい、何回も確認の手紙を送ったという逸話が残されています。淀川さんの没後に出た『映画は語る』は、『映画千夜一夜』ではもう観られない昔の映画を淀川さんの独壇場で語っていたのが、その後、ビデオで色々観られるようになったので、山田さんがもう一回淀川さんに聞き直すという復讐戦的な面白があります。これだけしつこい人が関係すると、当然、本も面白くなりますね。筈見恒夫さんが編者を務めた『淀川長治集成』も、内容的にもちゃんと校正が入ったとても面白い本なので、古本で探していただきたいですね。

 淀川さんと言えば、毎年のベストテンに挙げている作品を眺めると、若い頃は、それほど特徴はないのですが、後年はかなり独特な作品を並べているのも面白いですね。どうもベストテンというと、今でも全体の顔色をうかがうようなところがありますが、淀川さんは誰の目も気にしないで自分が本当に良いと思った作品を挙げています。その点では、北野武監督を『あの夏、いちばん静かな海。』でいち早く絶賛し、失敗作とも言われた『みんな~やってるか!』も独特の美的感覚で支持していました。映画解説の印象から、淀川さんは映画への悪口を言わないと思われがちですが、映画評論家としては非常に厳しい人でしたね。TVや一般誌ではそういう素振りは見せませんでしたが、映画専門誌では厳しい批判をする時もありました。亡くなって20年経った今も一面的な部分のみで淀川さんが語られるのは疑問です。『映画千夜一夜』や『淀川長治集成』に続くような本で、改めて映画評論家としての淀川長治を文字の上で蘇らせたい存在ですね。

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