猫ひろし、オリンピック出場の背景にあった真実ーードキュメンタリー制作に寄せて

猫ひろし、ドキュメンタリー制作に寄せて

「夜中にパッと目が覚めて、無性に嫁と子どもに会いたくなるんです」

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「僕は2011年に国籍を変えてカンボジアで生活し始めたんですけれど、その少し前に子どもが生まれていて、あまり成長を見守れなかったんです。国籍を取得した後はすぐに一度、日本に帰ろうと思っていたんですけれど、それも長引いてしまって。正直、ホームシックにかかることもありました。夜中にパッと目が覚めて、無性に嫁と子どもに会いたくなるんです。LINEとかでやり取りしていると、僕が見ないうちに娘はどんどん大きくなって、気づいたときには二足歩行していました(笑)。でも、嫁とはカンボジアの代表選手になることについて、『私と娘は日本国籍のままにする』『絶対にカンボジアの人に対して失礼な方法で選手にならない。やるからには正々堂々と実力で選手の座を勝ち取る』という二つの約束をしていたから、簡単に弱音は吐けない。もしオリンピックに出場できなかったら、嫁と子どもに寂しい思いをさせた挙句に、単にカンボジア人になっただけですからね(笑)」

 ロンドンオリンピックの夢は破れたものの、猫は走ることをやめなかった。世間の嘲笑を跳ね返すように、「任せてください。絶対に行きます。リオに」 と宣言した。しかし、精神的ダメージは大きかったのだろう、身体に不調をきたした時期もあったという。

「ロンドンがダメだったとわかった日も、悔しさから普通に40キロ走っていました。でも、やっぱりショックも大きかったんでしょうね。二ヶ月くらい、走れない時期もありました。だけど、だんだんと足の調子が戻ってきて、練習を再開して一ヶ月くらいかな? 2012年10月のちばアクアラインマラソンに出場したら、結構良いタイムが出せた。年齢的にはすでに30代半ばだったけれど、これはもう一回チャンスがあるって思えました。一度、失敗したことで振っ切れた部分もあったし、カンボジアの選手としてコンスタントに大会に出続けていたら、世間からの批判も自然と止んでいきました。そこからは、芸人の仕事と両立しながらも、集中して練習に取り組んでいくことができました」

 日本では批判があったものの、カンボジアでの猫の評判は上々だった。現地では早朝と夕方にトレーニングをする生活で、宿泊先のホテルの近辺では、すでに顔が知られた存在だ。現地の選手は、ライバルでもあり、ともに戦う友人でもある。

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選手たちの心を鷲掴んだ一発ギャグ『乳首DJ』

「一緒に合宿に行ったときに、一発ギャグを披露したんですよ。『乳首DJ』っていう、モロに下ネタだったんですけれど、それが大ウケして。やっぱり下ネタは万国共通というか。『あいつの乳首DJは面白い』って、僕の部屋の前に選手たちが並んだりすることもありました(笑)。彼らとは、フェイスブックでお互いの健闘を称えあったりして、良い関係が築けていると思います」

 なお、今回の映画の監督を務める鈴木雅彦氏は、猫にとって恩人といえる存在だ。

「僕がワハハ本舗入る前からの付き合いで、僕がマキタスポーツさんの付き人をやっていたときに、とある番組のディレクターをしていて、その打ち上げでご一緒した際、僕のキャラクターをすごく褒めてくださったんですね。それで、深夜番組などに呼んでくださるようになって。それから数年して、鈴木さんが世界陸上の番組を担当することになって、ちょうど僕がオリンピックを目指すと言い始めた時期だったのと重なったこともあり、『個人的に追いかけてみようかな』って、僕の活動を撮り始めてくださったんです。もう、足を向けては寝られないですよ(笑)」

 また、猫にオリンピックを目指すことを勧めた堀江貴文氏は今回、プロデューサーとして名を連ねている。

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