追悼・鈴木清順 不世出の天才監督が映画界に残したもの 

 日本映画界最後の巨星が墜ちた。映画監督・鈴木清順が、2月13日にその息を引き取ったのである。93歳だった。ここではいちファンとしての敬意と愛情を持って故人を「清順」と呼ばせてもらいたい。

 1923年5月24日に生まれた清順は、松竹大船撮影所の助監督試験を受け合格。映画界に入る。その後、日活に移籍し、本名である「鈴木清太郎」の名で56年に映画監督デビューを果たす。「清順」と名乗りだしたのはその2年後の『暗黒街の美女』からのことで、それまでに6本の映画を作り出していたのだ。そして日本映画がとくに元気だった60年代に入り、『野獣の青春』を皮切りに、彼にしか撮ることができない映画を何本も作り出す。

 幾度となく映画化された田村泰次郎原作の『肉体の門』は清順の手にかかれば色彩豊かな衣装を身にまとった女優たちが、鬱屈とした戦後混乱期を象徴させる画面の中で輝く。白黒映画の『けんかえれじい』もまた、ユーモアの数々と定説に嵌らない大胆な転換によって、見るものを釘付けにした。最近では、カラフルな色彩こそが清順映画“らしさ”のように語られることもしばしばあるが、改めて観てみると、一概にそうとは言い切れない。使われる色のバリエーションは極めてシンプルで、赤(紅というより、明らかな赤)や青、そして闇に落ちた背景の黒。ほかの映画でも多用される定番色を、彼自身のヴィジョンのもとに際立たせているということがよくわかる。

 その後、のちの代表作のひとつとなる『殺しの烙印』の難解さに当時の日活の社長が憤慨し、専属契約を結んでいた清順を解雇したことが大きな事件を生み出す。いわゆる“鈴木清順問題共闘会議”が結成され、民事裁判へともつれ込むなど大きな騒動となり、皮肉なことに一般に清順の名が知れ渡ったきっかけにもなったようだ。

 そんな事件を経て、10年ぶりに映画界に返り咲いた『悲愁物語』から、俗に言う“清順美学”がここぞとばかりに炸裂する。まずこの映画、『巨人の星』の梶原一騎原作のゴルフを題材にしたスポ根メロドラマかと思わせておいて、ただでは収まらない。スターダムにのし上がった白木葉子演じる主人公が購入した豪邸に、近所の奥様方が押しかける場面から急激に登場人物の奇行が目立ち始める。会話のテンポ、画面の作り方もすべて、観客に考える余裕を与えないほどに狂気の嵐を見せつけるのだ。

 そして80年代、ついに清順という存在が世界に発見される。大正浪漫三部作の1作目にあたる、『ツィゴイネルワイゼン』がベルリン国際映画祭で特別賞に輝いたのだ。今となっては、東京ドームの下に銀色のエアドームを建設して、そこでロードショーが行われるなんて、誰が想像できるだろうか。同作から『陽炎座』『夢二』へと続く大正浪漫三部作は、これまでに何度もリバイバル上映されるほど根強い人気を誇っている。

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