菊地成孔の『溺れるナイフ』評:映画は漫画の巨大なノベルティと化すのか?

映画版『溺れるナイフ』それ自体は、大変申し訳ないが、ほぼどうでも良い

 筆者は当連載で、邦画としては比較的優秀なゾンビ映画だと断言できる『アイアム・ア・ヒーロー』を評する際、この問題と久しぶり(『大菩薩峠』以来)で向き合い、かなりの葛藤があった。一言で言えば、「映画は面白いが、原作が気になって気になって仕方がない。という、本来なら余計な欲求不満。をどう解消すれば良いのか」という葛藤である。(参考:菊地成孔の『アイアムアヒーロー』評:「原作を読まなきゃな」と思わせるんだけど、それが失敗なのか成功なのか誰か教えて。

 その後、同じ問題とつどつど直面する事により、「この問題は、考えても仕方がない」という、バカのような結論に一瞬至りかけたが、現在は、すでに何度か繰り返した「長期連載漫画の映画化は、漫画のノベルティ商品であり、本質的には無料であるべき」という結論に至って、葛藤は霧散した。

 有識者(単なる原作漫画のファン)の解説によると、本作は「コマ落としのような速度で進み(原作では小学生始まりが、映画では中学生始まり)挙句エンディングは完全映画用オリジナル」だそうで、原作ブッチ切りでもないし、忠実に、しかも見事にダイジェスト化したとも言えないらしい。

 しかし、もうそんな話は、よしんば一点の曇りもない事実だとしても、前述の通り、筆者の批評基軸には一切関係ないのである。「あのキャラクターを誰が演じるか」という楽しみも、映画の出来に賛否が割れているという楽しみも、すべては原作が主であり、映画が従であるという明確な権力関係に従っている。

 一瞬、「山戸結希という天才若手女性監督が、初のオーヴァーグラウンド作の原作として、本作をチョイスした」という、「お、映画が主かな?」と思わせるリードも、フェイント程度に留まる。

生身の女性と象徴の男性

 山戸監督については、不勉強ながら他の作品を観ていないので、水平的、連続的な視点では語れない。しかし、本作で明確なのは、「女の子、という生き物を、かなりレアに描ける凄まじい才能がある」という事である。

 と、同時に、それが良いことか悪いことか、直感的な査定すらできないのだが、反比例的に、男性に関しては、ファンタジックにしか描けない事も、本作は雄弁に物語っている。

 「レアすぎるほどの女子と、ペラッペラのアンリアル男子」という対比において、原作とどのくらいの距離があるか、既に興味もないが(悪い意味ではない。そこはもう問題ではなくなった。という事である)。

誰が小松菜奈をここまで

 小松菜奈の、美醜の評価や、フェティッシュなレヴェルでの好き嫌いといった、可動範囲の広い評価領域を超え、パブリックイメージとして捉えた時

 1)手足が長く(そして細く)
 2)姿勢が良く(モデルだし)
 3)じゃによって、バレエでもやっていたような印象を受ける(勝手なイメージとはいえ、強烈)

 の3点に意を唱える人は少ないだろうと思われる。

 しかし、本作での小松菜奈のレアっぷりは凄まじい。以下、一切のディスではない事を先に明言してからの列記になるが、高校時代にチアリーダー(結構な筋肉質を求められる競技。同じ経歴の中村アンは、堅牢な筋繊維の沈静化にかなり苦労したと筆者は考えている)を経験し、ダンスとフルート演奏が特技という小松菜奈の手足は長いことには長いが、クラシックバレエがいかに先入観で、チアリーダーとフルートがいかにリアルであるかを知らしめる。

 端的に、筋肉質で太く、そしてアマチュアだと前傾姿勢に陥りがちなフルート演奏の影響か、長身の女性がコンプレックスを感じた際に、防御規制として必ず起こす、猫背気味の姿勢を基本姿勢としている。

 演技力は、ドキュメントかと思うほどのレアさで、庭で採れたハーブや、今、親戚のおじいさんが潰してくれたばかりの畜肉のような地産の味わいに満ち、一つ一つの動きはかなりドン臭く、地なのか演技なのか、とにかく素晴らしい(「趣味/ダンス」と明記され、実際にTVCMで踊っているが、それだけでは判断できない)。

 都市部でモデルをやっている限りにおいて、「新しい可愛さ」として機能する顔相は、田舎でレアに撮影される中、里の子の顔にしか見えず、実際に「東京でモデルをしているシーン」は、やりようによっては作品の中の剰余価値として黄金化するであろうものを、わずか数十秒しか映さない。

 レアなのは小松だけではない。実質上のサブヒロインである、上白石萌音(役名「松永カナ」。実名のが役名に近い。かなり現代的)は、5キロ太れという監督の命令に従い、最初は5キロ増、そして中盤以降、5キロ減で登場するが、「デニーロばりの役者魂」という方向に全く見えない。「このぐらいの年頃の女の子って、このぐらいの体重変異ありますよね」という、ふてぶてしいまでのリアリズムの体現である。

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