山下敦弘と李相日の“奇妙な一致”ーー両監督の15年から探る、日本映画の分岐点(後編)

山下敦弘と李相日の15年(後編)

 おそらくこれらの製作が実現したのは、TOHOシネマズの誕生と同時期に打ちだされた、また別の施策の影響も大きい。03年、東宝は東宝スタジオに41年ぶりとなる新たな特大ステージを完成させ、テクノロジーの進化に見合う大規模なスタジオ改造計画に着手した。竣工は10年。

「生まれ変わった東宝スタジオ。それは、この新しい時代に、東宝が再び映像製作に力を注いでいくことを内外に“宣言”するものであり、また、映像製作の一大拠点を築こうとする強い意思の表れなのです」
「いまや「映画」は、良質な作品であればそれだけ長期間にわたって利益を生み続ける息の長い商品であり、「生もの」と呼ばれた時代は過去のものとなりました」
「とすれば「コンテンツの権利確保」が何より大切になってきます。東宝が自社制作(原文ママ)体制を強化し、製作出資も活発に行っているのは、“コンテンツホルダーの時代”に勝ち残るためなのです」

 東宝は公式サイトにこう記している。00年代に興行の揺るぎない基盤を確立した東宝は、13年『永遠の0』で87.6億という自社製作作品の興収記録を打ちたて、新しい製作の時代のはじまりを宣言した。今年話題を集めた『アイアムアヒーロー』『シン・ゴジラ』といった東宝製作作品は、そのような自社製作体制を強化する流れのなかに位置づけられるものだ。もちろん、李が再び吉田原作の映画化に取り組み、川村がプロデュースを手がけた『怒り』も。

 今年、『怒り』や『君の名は。』『何者』を手がけている川村は、自身のプロデュースに対する考えを次のように話している。

「僕が考えるプロデュース力とは、コンセプトを決めること、そして撮影や音楽などクリエイターの組み合せを作ること」
「僕も自分で組み合せ作りを行っていて、例えば『バクマン。』ならサカナクションに音楽をやってもらうとか、VFXをパートごと4チームに分けてやってもらうとか、そういうことを考えました」

 特に近年、彼のプロデュース作品では音楽が際立つ。『怒り』の坂本龍一、『君の名は。』のRADWIMPS、『何者』の中田ヤスタカ。映画畑の人材にこだわらず、業種の垣根を越えたスタッフィングを行うことによって、彼は日本映画に新しい活力を注入しようとしているように思える。

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『怒り』(c)2016映画「怒り」製作委員会

 『怒り』が強く胸に迫ってくる理由のひとつは、これが“何者でもない者”たちのドラマだからだ。誰からも愛されたことのない女、ゲイであることをひた隠しにする男、見知らぬ土地で苦痛にあえぐ少女、そして彼らの前に現れる正体不明の男たち。社会の周縁で息を殺して生きるマイノリティーの姿をとらえるとき、李の筆致はとりわけ力強い。考えてみれば、朝鮮高校に通う男子生徒の葛藤を描いたデビュー作『青 chong』以来、ずっとそうだった。李の目線はそういった何者でもない者たちと同じ高さに据えられてきたのだ。『青 chong』のラストで主人公に「俺は俺だ」と言わせた通り、それが俺なんだといわんばかりに。

 “何者でもない者”たちの物語を描きつづけてきたのは山下も同様だ。童貞三部作や『苦役列車』『もらとりあむタマ子』の主人公たちは、何者かになる前のモラトリアムな時期を過ごしている。『マイ・バック・ページ』に登場する雑誌記者の沢田、活動家の梅山は、いずれも本物になりたいと願いながら、結局のところ挫折する男たちだ。『オーバー・フェンス』の主人公である白岩もまた、東京で職も家族も失い、郷里の函館で何者でもない時間を生きている。いや、どうあがいたって、彼らは何者にもなれないかもしれない。でも山下は彼らの姿をありありと描写することによって、その人生を救済している。デビュー作『どんてん生活』を「まあ、いっか。生きてりゃいっか」のセリフで締めくくった通り、そんな生き方でもいいんだ、ただ生きてりゃ、とでもいうふうに。

 『オーバー・フェンス』を覆う孤独感や閉塞感は、これまでの作風と決して相容れるものではなかったが、山下は敢えてそこに立ち向かうことで新境地を切りひらくことに成功している。同じようにオダギリジョーも、この作品で中年男の悲哀をまとい、新しい世界に手をのばした。01年に映画デビューした彼は、メジャー作品に背を向け、作家主義的で独創的な作品のなかに自分の居場所を見出してきた。だが彼のキャリアが円熟へ向かう一方、彼の好むような映画は時代のあおりを受けて減少していく。

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