門間雄介の「日本映画を更新する人たち」 第6回(後編)
山下敦弘と李相日の“奇妙な一致”ーー両監督の15年から探る、日本映画の分岐点(後編)
11年『マイ・バック・ページ』も山下の新たな挑戦だった。原作は評論家の川本三郎が雑誌記者だった全共闘時代を振り返るルポルタージュ。山下が描いてきた日常の平坦な物語とは異なる、劇的な時代の実話が素材だ。
「今回は下手な小細工は通用しない世界だと思いました。斜に構えたりできないと思ったので、バカ正直に作品と向き合った気がします。だから、イライラしたし、見失いそうになった時もあったし、重かったです」
みずからこう話すように、山下はそれまでの世界とかけ離れた題材に、作品の完成後も戸惑いを隠さなかった。でも原作に登場する『ファイブ・イージー・ピーセス』や『真夜中のカーボーイ』といった、もともと彼が好きだったアメリカン・ニューシネマを入口にして、そこに自分の気持ちを重ね得る要素を見出していった。そのひとつが、妻夫木扮する雑誌記者の沢田と、忽那汐里扮する表紙モデルの眞子との会話に反映されている。沢田は眞子とふたりで映画館へ行き、公開中の『ファイブ・イージー・ピーセス』を観たあと、彼女に「どこがよかった?」と尋ねる。すると彼女は答える。
「ジャック・ニコルソンが泣くところ。わたしはきちんと泣ける男の人が好き」
その一言がラストで見せる沢田の泣き顔につながっていく。デビュー以来、ささやかな感情の機微をとらえてきた山下にとって、これは彼が初めて映画に刻んだほろ苦い涙だった。そして現在の視点で振り返れば、その涙は『怒り』で妻夫木が流す涙にも、『オーバー・フェンス』でオダギリジョーがむせび泣く涙にも、どこかオーバーラップして見える。
08年のリーマン・ショック以降、日本映画の二極化は進み、映画の多様性を担保してきたメジャーとインディペンデントの中間層が崩落していく。10年、その中間層の映画製作を担っていたシネカノンが経営破綻。一方、同じ10年に過去最高となる748億円の興収を記録したのがメジャー最大手の東宝である。もちろんこの数字は偶然の産物ではない。01年『千と千尋の神隠し』が304億円という歴代最高興収を上げたのを契機に、東宝は映画環境の変化をとらえた、いくつかの施策を打ちだしていた。最たるものは03年、ヴァージンシネマズの買収とTOHOシネマズへの転換だろう。
そもそも東宝は、阪急グループの創業者である小林一三が、東京における演劇・映画の興行を主目的に設立した1932年の東京宝塚劇場をルーツにしている。その後、東宝は50年代に百館主義を掲げ、全国の一等地に100館の映画館を建設し、強力な興行チェーンを確立していった。「興行の東宝」と言われるゆえんだ。そんな東宝がシネコン時代の興行も牽引していく。映画館の85%をシネコンが占める現在、TOHOシネマズは700に迫るスクリーン数を有している。
そういった巨大な興行網を背景に、東宝は配給で他を圧倒し、翻って製作でも独自の力を発揮するようになる。東宝が過去最高の興収をあげた10年は、『THE LAST MESSAGE 海猿』『踊る大捜査線THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ』などのテレビ局作品、『借りぐらしのアリエッティ』に代表されるアニメ作品が大きなヒットを生むなか、自社製作作品からも異色のヒット作品が誕生した。李の『悪人』と中島哲也が監督した『告白』である。
異常犯罪を通して人間の暗部に迫るこのふたつの作品は、大規模な公開を義務づけられた東宝作品であればこそ、なおさら高いリスクをともなったはずだ。実際、『悪人』の映画化をめぐる経緯はそのような企画の困難さを教えてくれる。しかし結果として、『悪人』は19.8億、R18指定された『告白』にいたっては、この年の国内実写作品4位となる38.5億の興収を記録。01年に東宝に入社し、ふたつの作品にプロデュースで関わった川村元気は、この年、著しい功績をあげた映画製作者に贈られる藤本賞を史上最年少で受賞している。