スティーヴ・アオキの精神はパンクそのものだ! ISHIYAが世界トップDJのドキュメンタリーを観る
その後、スティーヴは現在のレーベル「DIM MAK」を19歳で設立する。ここから、スティーヴ・アオキのサクセスストーリーが始まったといっても過言ではないだろう。「できないことは何もない」ということを、スティーヴはDIYハードコアから学んだようだ。
しかし、一番認められたかった父親に、音楽という道は理解されなかった。どうしても父親に認められたいスティーヴは、音楽でも成功を収められることを証明するために、22歳でロサンゼルスに移り住んだ。音楽の道は非常にリスクが高いが、そのチャレンジ精神もまた、スティーヴが父親から受け継いだものだろう。冒険心の塊で、リスクを恐れず自分の信じた道を突き進む姿勢は、父親の姿に重なるとともに、DIYハードコアの精神そのものでもあると、筆者は強く感じる。
確固たる意志と熱意を、父親とDIYハードコアから受け継いだスティーヴは、ロサンゼルスでDJとしての活動も始める。そこで友人と組み、毎週火曜日に「DIM MAKチューズデー」というイベントを開催する。DIYハードコアのライブスタイルを受け継いだイベントで、ロックのアティテュードを取り込み、従来のダンスミュージックやDJ界にはない新しいムーヴメントを生み出した。
その後、数々の成功を手中にし、世界中を飛びまわる売れっ子DJとなる。年間300本ものライブを行なうのは狂気の沙汰である。当然、身体にも変調を来すが、スティーヴは止まることを知らない。まるで止まると生命が途絶えるかのごとく、精力的に世界中を飛びまわる。無休で働き続ける姿もまた父親譲りで、「血は争えない」という言葉を体現しているとしか思えない。この親子には驚愕するとともに、アメリカのエンタメ界で日系人が成功するためには、生半可な努力では叶わないことが切実に伝わってくる。
スティーヴ・アオキの音楽は、一聴するとパンクやアンダーグラウンドシーンとはほど遠く感じるかもしれない。しかし、その精神と方法論、ステージパフォーマンスは「パンク」そのものであり「ハードコア」そのものだ。パンク・ハードコアとは、生き様の問題である。スティーヴ・アオキは「生き様としてのパンクスである」と、筆者は信じて疑わない。
■ISHIYA
アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。
FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST
■作品情報
『スティーヴ・アオキ I’ll Sleep When I’m Dead』
今年4月にトライベッカ映画祭で初公開されたばかりの作品がNetflixオリジナルで登場。世界トップクラスのDJ、スティーヴ・アオキの素顔に迫ったドキュメンタリー。彼が目指した父の背中とは。監督ジャスティン・クルークと、「二郎は鮨の夢を見る」スタッフの共同プロデュース。自己最大のDJショーを控えたスティーヴ・アオキが、米国レストランチェーンBENIHANAの創業者である亡き父との関係を振り返る。
Netflixでオンラインストリーミング中。
https://www.netflix.com/title/80118930