『シチズンフォー スノーデンの暴露』と『FAKE』から、“ドキュメンタリー”と“報道”の違いを考察

『シチズンフォー』と『FAKE』の共通点

ドキュメンタリーと報道の違いとは

20160709-CitizenFour-sub1.jpg

 

 ドキュメンタリーの主観的視線を語る上で参考になる作品が最近話題となっている。森達也監督が佐村河内守を撮った『FAKE』だ。あの作品も本作同様、森監督自身が重要な登場人物となっている。『シチズンフォー』が撮っている対象が告発者であるのに対し、『FAKE』が撮っている対象は、嘘つきと世間に罵られた男だ。その点では、この2作は大きく異なっているが、仕掛人とも解釈可能なほどに監督が当事者として作品の内容に大きく踏み込んで関わるという点では共通している。

 森達也監督は、自著「ドキュメンタリーは嘘をつく」でドキュメンタリーは徹底して一人称の表現だと述べている。ドキュメンタリーはときに報道の一形態と見なされることがしばしばあり、客観的な事実を積み重ねたものだと思われがちだが、実際にはとても主観的な表現なのだと言う。彼の最新作『FAKE』はその姿勢が大変によく現れている作品であった。週刊文春の神山記者は調査報道の体をなしていないと『FAKE』を批判しているが(「残酷なるかな、森達也」- 神山典士(ノンフィクション作家))、そもそも森監督は報道を標榜していない。『FAKE』は報道ではなく、徹底して森達也の表現である。

20160709-CitizenFour-sub2.jpg

 

 『シチズンフォー』もまた同じ問いができよう。これは報道か作品か、という問いが。ポイトラス監督自身、自分の立場が微妙なものであったとインタビューで語っている。映画のパンフレットによれば、本当は出たくなかったが、自分が物語の一部であると観客は知る権利があると考えたそうだ。監督の立ち位置が明確だからこそ、観客は監督に憑依し、この世紀の暴露の当事者であることを追体験できるのだ。

 本作はスノーデン事件に関して目新しい情報を提供しない。その代わり歴史的瞬間を究極の当事者目線で追体験できる。それは大変にスリリング、でエキサイティングな体験だ。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報
『シチズンフォー スノーデンの暴露』
シアター・イメージフォーラムほか全国公開中
監督・脚本:ローラ・ポイトラス
エグゼクティブ・プロデューサー:ジェフ・スコール、スティーブン・ソダーバーグ、ダイアン・ワイアーマン
プロデューサー:ローラ・ポイトラス、マチルダ・ボネフォイ
編集:マチルダ・ボネフォイ
製作:ダーク・ウィルツキ―
出演:エドワード・スノーデン(本人)、グレン・グリーンウォルド(ジャーナリスト)、ローラ・ポイトラス、
原題:「CITIZENFOUR」/2014年/アメリカ・ドイツ/英語・ポルトガル・ドイツ語/114分/カラー
提供:ギャガ、松竹
配給:ギャガ・プラス
(c)Praxis Films (c)Laura Poitras
公式サイト:gaga.ne.jp/citizenfour

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる