『神様メール』監督が語る、“現実と非現実”の映画論「登場人物の視点を通して世界を描いている」

 ブリュッセルに住んでいる“神様の娘”エアが起こす騒動を描いたヒューマンコメディ『神様メール』が本日5月27日から公開されている。『トト・ザ・ヒーロー』『八日目』『ミスター・ノーバディ』を手掛けたジャコ・ヴァン・ドルマル監督の5年ぶりとなる新作で、フランス、ベルギー、スイスでは公開初週の興行ランキング1位を記録した。神様がパソコンで全人類を支配している世界、エアが人類に向けて余命を告げるメールを送信してしまうことから物語は始まる。パニック状態に陥った世界に降り立ったエアが、ヘンテコな奇跡を起こしながら悩める人々を救っていくのだが…。独特のユーモアとシニカルな笑いが詰め込められた本作を、ヴァン・ドルマル監督はどのように完成させたのか。その制作舞台裏と自身の映画論を語ってもらった。

「リュミエール兄弟とジョルジュ・メリエスの間をいく映画を撮っている」

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督

ーー本作は、神の娘・エアが、全人類に対して残りの余命を電子メールで送るところから始まり、残された時間を知った人間が、それまでできなかった自分に正直な行動を起こしていく姿が描かれていきます。このユニークなアイデアは、どのように生まれたのでしょう。

ジャコ・ヴァン・ドルマル(以下、ヴァン・ドルマル):私自身は死に直面したことはなく、どちらかと言えば、余命を宣告される前の登場人物たちのように、このまま何事もなく生きていけると信じているタイプです。しかし、時折、過ぎていく時間の早さを感じたり、いつかは自分にも死が訪れるだろうと考えることもあります。もしも余命を知ってしまったら、それまで抱いていた人生観はガラっと姿を変え、一秒一秒がすごく大切なものに思えてくるのではないか。そんな時、私たちはこれまでと同じような暮らしを続けていくのだろうか、と考え始めたところから始まりました。

ーー結果、登場人物たちはそれぞれの正直な気持ちに従い行動を起こしていくわけですね。

ヴァン・ドルマル:とても昔の話になりますが、心に残っているかつての先生の言葉があります。いつもは昔のことなどほとんど忘れてしまうのですが、それは覚えている言葉のうちの数少ないひとつです。人生は楽しく生きるか、楽しく生きないかのそれだけだ。楽しく生きる人は楽しく生き続けるし、楽しめない人は楽しく生きることはできない、という単純でありながらもある種の哲学を感じる言葉が、本作を撮る上で影響を与えたかもしれません。なぜなら、エアが神様に反抗した理由も、彼女にとってそれまでの人生が楽しくなかったからです。

ーー余命がメールで通知される設定をはじめ、6人の使徒を探して「新・新約聖書」を作っていく過程や登場人物が心にそれぞれ違った音楽を宿しているなど、監督らしいファンタジックな演出が多く詰め込まれていました。

ヴァン・ドルマル:つまらない仕事にウンザリしている男や孤独な女、冒険家になりたかった会社員など、6人の使徒として登場する人物はみんな日常にいてもおかしくない。実際に街ですれ違っても気づかないような人々で、色で例えるとネズミ色のような(笑)。広い世界から見ると小さな存在でしかない人々だが、だからこそ心の中は壮大な音楽で彩りたいと思いました。フランスのとあるバンド・デシネ(フランスの漫画)に、見た目は普通のキャンピングカーだけど、中にはいると宮殿を思わせる豪華な世界が広がっている、という描写があります。見た目は小さな存在でしかないが、内面には壮大な物語が詰まっている。本作でそれを表しているのが心で鳴り響く音楽なのです。ちなみに、使用しているヘンデルやパーセルの音楽は人物像と曲の持つイメージが一致しています。

 

ーー新約聖書はどんな風に映画に取り込んでいますか。

ヴァン・ドルマル:エアが起こす奇跡は新約聖書をモチーフにしています。それに、宗教画のような画作りを意識していたから、画面に映るものをシンメトリーにしたり、光の使い方や差し込み方も参考にしました。あと、宗教画に描かれる人物の目線は鑑賞者に向けられているものが多いから、キャストにはカメラ目線で演技をしてもらうようにしていたよ。

ーー隣人に復讐を誓った男の数奇な運命を辿る『トト・ザ・ヒーロー』、人類が死を克服した世界で唯一死ぬことができる男のパラレルワールドを描いた『ミスター.ノーバディ』など、監督のこれまでの作品はファンタジーと現実をミックスした作風が特徴的だと感じました。

ヴァン・ドルマル:映画は素晴らしい芸術です。文学と同じように自分の思考をそのまま形にできる。これは私の持論だが、映画が開発された当初から、映画は二つのタイプに分かれている。ひとつは、リュミエール兄弟のように、現実を映し出し、観客にもそれが現実だと訴えかける作品。もうひとつは、ジョルジュ・メリエスのように、非現実であることを前提にフィクションの世界を描いていくタイプ。私が目指しているのはその間をいく作品です。登場人物がどのように現実を見ているのか、その人物の視点を通して見た世界はどんな形をしているのか、そこに重きを置いて描いている。6人の使徒がそれぞれ見る夢の内容も、僕自身が彼らの見る夢をイメージしながら眠りにつき、そこで見た夢を参考にしているんです。

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