『ディーン、君がいた瞬間(とき)』監督インタビュー
写真家・映画監督アントン・コービンが語るJ・ディーン そしてボノやプリンスとの思い出
——逆に、アーティストと近すぎる存在になることによって、何か弊害のようなものが生じることはありましたか? 今作『ディーン、君がいた瞬間』におけるディーンとデニスの関係も、必ずしも理想的なものとしては描かれていませんでしたが。
コービン:うーん、どうだろう? 今、パッと思い浮かんだのは、15年前にオランダの美術館で自分の写真の展覧会を開いた時のことだな。地元だったし、とても大きな展覧会だったので、当時はまだ生きていた自分の両親もオープニングパーティーに招待したんだ。そのパーティーには、ボノも駆けつけてくれて、オープニングのスピーチを買って出てくれた。そのスピーチでボノは、自分の両親の目の前で「アントンに写真を撮ってもらうと、まるで彼とセックスをしているような気持ちになる。俺とアントンはこれまで20年間ずっとセックスをしてきた」って言ったんだ。多くのオランダ人の老人同様に僕の両親もあまり英語が得意ではなかったから、その言葉をそのまま受け止めて目を白黒させていたね。「えっ!? ウチの息子が!?」って(笑)。
——(爆笑)。
コービン:まじめに答えると、アーティストと親しくなることで、特に弊害となるようなことは思い当たらないよ。僕はジャーナリストじゃなくてフォトグラファーだからね。ただ、一つ大事だと思うことは、写真を撮ってはいけないタイミングを察知すること。
——それは勘を研ぎ澄ますということですか? あるいは経験によって培われるものですか?
コービン:その両方だね。
——最後の質問です。あなたはフォトグラファーとしてジョイ・ディヴィジョンやニルヴァーナとも仕事をしてきました。そして、映画監督としてのあなたの最初の作品はイアン・カーティスの最期の日々を描いた『コントロール』であり、今作もまたジェームズ・ディーンの最期の日々を描いた作品です。そこからは、「才能のピークにおける死」というテーマに取り憑かれている映画作家という一面を感じ取らずにはいられないのですが。
コービン:まず言っておかなくてはいけないのは、イアン・カーティスとカート・コバーンとジェームズ・ディーンの死は、それぞれまったく違うものだということだ。
——そうですね。
コービン:その上で、若くして、それもキャリアのピークにあって死んでしまう人間の人生に、自分の興味が向いているというのは事実としてあると思う。ジェームズ・ディーンは早逝したことによって、マーロン・ブランドのように歳をとって太ることもなければ、つまらない作品にたくさん出ることもなかった。それが良かったことだとは絶対に言えないけれど、そうした側面というのはやはり見過ごせない事実としてある。
——あなたの前作『誰よりも狙われた男』は、フィリップ・シーモア・ホフマンにとって撮影時期として最期の仕事になりました。
コービン:……そうだね。ある種の強烈な才能というのは、その強烈さゆえに、暗い場所へと引き込まれてしまうことがあるように思う。もちろん、何度も言うけど、「死」にはそれぞれの理由があって、それを一緒に語ることはできなけれどね。
——あなたは今ちょうど60歳ですが、これからも長生きをしたいと思いますか?
コービン:40歳を過ぎた後の人生は、すべてオマケみたいなものだと思ってきたよ。でも幸いなことに、自分はそのオマケの人生でやりたいことがまだまだたくさんあるんだ。
(取材・文=宇野維正)
■公開情報
『ディーン、君がいた瞬間(とき)』
2015年12月19日(土)シネスイッチ銀座ほか、全国順次公開
監督:アントン・コービン
製作:イアン・カニング
音楽:オーウェン・パレット
出演:デイン・デハーン、ロバート・パティンソン、ジョエル・エドガートン、ベン・キングズレー、アレッサンドラ・マストロナルディ
原題:LIFE/2015年/カナダ・ドイツ・オーストラリア合作/112分/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:佐藤恵子
配給:ギャガ
Photo Credit:Caitlin Cronenberg, (C)See-Saw Films
公式サイト: http://dean.gaga.ne.jp