赤ひげとは一味違う!「医療×警察」の面白さが詰まった砂原浩太朗の時代小説『小石川養生所青春譜』を読む
新たな切り口で描く江戸の医療現場
なるほど、これは面白いところに目をつけたな……というのが、本書を読み終えたあとの率直な感想だった。
砂原浩太朗の新刊『小石川養生所青春譜』(光文社)は、8代将軍・徳川吉宗の命によって設けられた、日本初の無料公立医療施設「小石川養生所」を舞台とした小説だ。古くは、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』や、それを原作とする黒澤明監督の映画『赤ひげ』の舞台として、馴染みのある人も多いかもしれない小石川養生所(現在の「小石川植物園」の場所に実在した)だが、本作の主人公は「赤ひげ」のようなアクの強い個性的な医師でも、その弟子となる若手医師でもなく、奉行所の与力の指揮下で実務を行う若き「同心」であり――そこが、本作のユニークなところなのだ。
曰く「小石川養生所は八十年ほどまえに創建されたもので、極貧や独り身の者など、行き場のない病人を救うための施設だった。薬草の栽培がおこなわれる御薬園のうち千坪が敷地に当てられ、町奉行所の扱いとなっている。南北両奉行所から、養生所見廻りと呼ばれる与力と同心が一日おきに詰めて目をくばっていた」。小石川養生所の創建は享保7年(1722年)なので、物語の舞台となるのは19世紀初頭、享和の頃だろうか。本作の主人公・結城長三郎は、南町奉行所の同心を務めていた父の死に伴い、急遽その跡を継ぐことになった二十歳の若者だ。そんな彼が、上司である与力・長門伊兵衛に連れられて、小石川養生所に足を踏み入れるところから本作はスタートする。
貧民救済の裏にうごめく陰謀
多いときで男女100人以上もの患者を収容していたという養生所だが、最長で八月という収容期間に抗おうとする者、今わの際に外出を希望する者など、その事情はさまざまだ。世話をしてくれる縁者がいないとはいえ、過去に犯罪歴があるなど、訳ありの老人も多いようだ。それは「看病中間」と呼ばれる養生所で働く男たちもまた同じである。「看護師」という言葉も概念もない頃の話だ。彼らはどのような人生を歩みながら、病人の世話をするという今の仕事に就くことになったのだろう。それは、医師たちについても同じである。
誰もがみな、貧民救済という高い志を持っているわけではなく、医師としての出世の道から外れたこの場所で働くことを、必ずしも良しとはしてない医師もいるのだとか。よって、いわゆる「賄賂」や「心づけ」のようなものも……。だからこそ、奉行所の監視下にあるとも言えるのだが、社会ずれしていない長三郎は、日ごとに明らかとなる療養所の内実や、そこにいる人々の悲喜こもごもに戸惑いを隠せない。
養生所に通うようになってほどなくして、長三郎は自身の弁当箱に謎の紙片が挟み込まれていることに気づく。「よしざう ひだかや」と書かれた紙片。それは、詐病を使って中間たちの手を煩わせている患者・葭蔵(よしぞう)の知られざる事情と関係したことなのだろうか。そのことを上司である伊兵衛に相談した長三郎は、それは養生所の内実を秘密裏に探るべく長三郎の父・瀬左衛門が忍ばせた「手下(てか)」の者からの言づてではないかという思わぬ推測を得るのだった。亡き父は、この養生所の何を探ろうとしていたのだろうか。その後も続く、何者かからのメッセージ。そこから徐々に浮かび上がってきたのは、こともあろうか上司・伊兵衛に関する疑惑なのだった……。
シリーズ化への期待膨らむ一冊
ことほどさように、表題から受ける印象とは裏腹に、徐々に「捕り物帳」的な謎解きやサスペンス的な雰囲気も帯びていく本作。挙句の果てには、養生所内で刃傷事件も! 現代風に言うならば、「医療もの」と「警察もの」を掛け合わせたような面白さが、本作にはあるのだ。新人警官ならぬ新人同心である長三郎は、周囲の人物に助けられながら、次々と巻き起こる事件に対処する。それぞれ異なる事情をもった患者たちをはじめ、さまざまな人間模様が交錯する養生所の内実。その果てに、彼は何を思うのだろうか。本書の最後で、長三郎の父・瀬左衛門が追っていたと思われる、ひとつの大きな事件の片はつく。
しかしながら、長三郎と同年代の同僚である磯貝新平と田原十蔵、中間の弥吉と勘次、看病人のおその、さらには本来、長三郎と相まみえることのないはずだったものの、ひょんなことから協力関係を結ぶことになる、北町奉行所の水分(みくまり)丹次郎など、長三郎の周辺にいる人物たちの造形はもとより、ここぞというときに登場する、南町奉行・根岸鎮衛(やすもり)――大岡忠相(大岡越前)、遠山景元(遠山の金さん)と並ぶ名奉行として歴史に名を残している人物の存在など、きっちりと構築された世界観は、本作限りでは惜しいように思われる。長三郎の「青春」は、まだまだ始まったばかりなのだから。
これまでも、『高瀬庄左衛門御留書』に始まる「神山藩シリーズ」や、今年続編が上梓された『藩邸差配役日日控』など、シリーズものにも意欲的な著者だけに、本作のリアクション次第では、シリーズ化もあるのではないだろうか。その始まりに相応しい、潜在的な魅力を持った一冊だと思う。
■書誌情報
『小石川養生所青春譜』
著者:砂原浩太朗
価格:1,980円
発売日:2026年7月23日
出版社:光文社