便利なはずのセルフレジ、なぜ煩わしい? 速水健朗が語る、“機械音痴”から見た現代テクノロジー

 速水健朗の新刊『機械ぎらい――機械音痴のテクノロジー史』(集英社新書)は、一見「そんなところに注目する?」と思ってしまうような視点からテクノロジーの問題に迫る著作だ。モバイルオーダー、セルフレジ、QRコード、最新家電、事前予約といった、便利なようで不便な新技術たち――。

「テクノロジーと言えばAIやITプラットフォーム」という時代に、なぜ速水はこの視点から1冊の本を書いたのか。著者本人に直接尋ねた。

なぜ人は情弱と思われたくないのか

速水健朗『機械ぎらい――機械音痴のテクノロジー史』
(集英社新書)

ーーまず、この本は、機械が苦手な人の側に立って書かれていますよね。

速水:そうですね。最近のデジタルまわりの混乱について、自分の実感に正直に書いています。居酒屋のQRコード注文で、頼みたいものに全然たどり着かないとか、イベントや映画のチケット予約で、パスワード、パスキー、二重認証と次々に要求されるとか。しかも、その途中で広告ばかり見せられる。本当にうんざりするんです。

ーーでも、世の中の人は、なんだかんだ言いながら使いこなしているようにも見えます。

速水:そう見えますよね。多くの人は、そういう不便さを受け入れているように見える。でも、むしろそこが問題なんじゃないかと思っています。ふざけんなって言えなくなっているんですよ。ユーザーの側が、無理に適応しようとしている。

 使いにくい装置は、本来なら、どこがダメなのかという声がメーカーやエンジニアに届いて、修正されるはずなんです。修正されなければ、自然に使われなくなる。でも今は、その流れがうまく働いていないんです。

ーーどうして、文句を言いにくくなっているんでしょう。

速水:誰も情弱だと思われたくないからじゃないですかね。今の社会では、デバイスを使えない、時代に乗り遅れていると思われることが、かなり不利に働く。だから、皆、平気なふりをしてるんだと思います。

 SNSでも、人は何かを装って演じることに慣れていますよね。得意なふり、わかっているふり、平気なふりをして生きることが当たり前になっている。機械やシステムに対しても、同じことが起きているのではないかと思います。

ーーただ、速水さん自身が、単に機械の扱いが苦手という可能性もありますよね。

速水:ありますよ(笑)。僕はしょっちゅう電車に乗り間違えますし、注意力の問題や勘違いも多いタイプです。商業施設のトイレで、流し方がわからなくて戸惑うこともよくあります。UI(ユーザー・インターフェース)に戸惑いやすいタイプの人というのは、たぶん存在するんだと思います。だから、僕個人の問題という面も、もちろんあります。

ーーそれは、十分、機械音痴にも見えます。ただ、本当に機械ぎらいというわけではないですよね? 元パソコン雑誌の編集者でもありますし。

速水:昔からカメラやパソコンは好きでしたし、テレビの配線も小学生の頃からわかりました。新しいサービスや装置もとりあえず使ってみるタイプです。Adobe Premiereも使うし、ポッドキャストはLogic Pro Xで編集している。だから、機械が嫌いで避けている人間ではないつもりです。

ーーそれでも、日常の装置にはつまずいてしまう。

速水:でも、そういうタイプっていますよね。おそらく、ジャック・タチはそういう感覚を持った映画制作者だったんだと思います。僕はタチの映画が好きなんですが、彼の作品は、近代化に適応しようとしすぎる人たちの姿を、おもしろおかしく描いているんですね。

 代表作の『ぼくの伯父さん』(1958年、フランス)には、アルペル一家が暮らすモダンな住宅が出てきます。庭には魚の形をした噴水があり、客が来たときだけ水を出す。キッチンには当時の最新式の機械が並び、家具も照明も、見た目には新しく洗練されている。

 けれども、その家の道具はどれも少し使いにくい。椅子は座り心地が悪そうだし、キッチンの機械も奇天烈なものばかり。便利で合理的な生活のはずなのに、そこにいる人たちは、家や道具に合わせて振る舞わされている。

 ユロおじさんというキャラクターは、いわゆる機械音痴キャラです。彼がその家にやってきて、最新式の設備や家財道具の扱いに戸惑う。そこで笑えるのは、ユロ伯父さんの不器用さだけではありません。モダンな生活のために置かれたはずの道具に人のほうが振り回されている様子でもあるんです。

成功したUIは、意識されない

ーー本の中では、成功したUIの例として、エレベーターが出てきます。

速水:エレベーターは、もっと賞賛されていいテクノロジー装置だと思います。自動車が都市や郊外の暮らしを変えたことは、よく語られますよね。でも、エレベーターがなければ、いまのような高層建築も都市の風景も成立していません。

 とはいえ、エレベーターは成功しすぎているので、あまり語られない。自動車を運転できない人はたくさんいますが、エレベーターを使えない人はほとんどいない。ボタンを押せば動くし、どのボタンを押せばいいかもだいたいわかる。操作があまりにも自然なので、僕たちはそれをUIとして意識しなくなっているんです。

ーーうまくできているものほど、意識されないわけですね。

速水:ただ、最初からそうだったわけではありません。エレベーターにも、運転手がレバーで操作していた時代がありました。現在のように、誰でもボタンを押すだけで使える形に落ち着くまでには、長い試行錯誤があった。

 ところが、完成形が普及すると、その途中にあった困難や工夫の歴史は忘れられてしまう。これは冷蔵庫や鉄道でも同じです。新しいテクノロジーは、最初から自然に受け入れられるわけではない。冷蔵庫でいえば、人工的に冷やした食べ物への不安がありました。鉄道にも、速度への恐怖や身体への影響をめぐる不安があった。

 テクノロジーは、便利だからすぐに普及するのではありません。普及当初に人々が感じる違和感や事故にともなって生まれる恐怖心などを少しずつ乗り越えながら、ようやく広がっていく。

ーーその過程では、作る側だけでなく、使う側の感覚も大事になる。

速水:そう思います。新しいものを普及させるのは、必ずしもエンジニアだけではありません。むしろ、使う側の戸惑いや違和感をどう拾い上げるかが重要になる。

 スティーブ・ジョブズは、その典型だと思います。彼はエンジニアではありませんでしたが、製品を使う人間の感覚にはものすごく敏感だった。エンジニアが機能を増やすためにボタンを追加しようとすると、そこで立ち止まる。そのボタンは本当に必要なのか。使う人にとってわかりやすいのか。そう問い直す役割を果たしていた。

ーージョブズの功績って、発明者としてのものではない。

速水:ジョブズは、むしろ機械音痴の感覚を持った人だったのだと思います。本当に機械音痴だったという話ではありません。ただ、彼の功績は、技術を作る側の論理だけでなく、使う人の側の違和感を持ち込んだことにあります。

 初代マッキントッシュには、フロッピーディスクを取り出すための物理ボタンがありませんでした。ジョブズには、ボタンを減らすことへの強いこだわりがあった。開発者が勝手にボタンを増やそうとすると猛烈に怒り狂ったというエピソードがたくさんあります。

 もちろん、それがいつも正しかったわけではありません。Macのマウスは長く1ボタンでしたが、結果的にはWindowsが採用した2ボタンのほうが標準になった。ボタンを減らせば必ず使いやすくなるわけではないんです。

 それでも、機能を増やすことがそのまま進歩だと考えない姿勢は、UIを考えるうえで重要だったと思います。

押しボタンの歴史は、メディア論でもある

ーー押しボタンについてもかなり書かれています。

速水:押しボタンは、20世紀のテクノロジーを考えるうえで、とても重要な発明だったと思います。押すだけで機械が動く。オンとオフを切り替える。複雑な操作を、ひとつの動作に置き換える。コダックのカメラ以降、押しボタンはさまざまな機械の基本的なインターフェースになりました。

ーーただ、その押しボタンも、いまは変わってきている。

速水:そうですね。スマホからホームボタンが消えたように、物理的なボタンは少しずつ画面上の操作に置き換わっています。さらに長押しやスワイプのように、ひとつの操作に複数の意味が割り当てられるようにもなった。押しボタンという単純でわかりやすい操作の時代が、いま終わりつつあるのかもしれません。

ーーそれは、単なる操作方法の変化ではないですよね。

速水:入力方法が変わるということは、人間と機械の関係が変わるということでもあります。

 思い出すのは、キューブリックの『2001年宇宙の旅』です。あの映画では、未来のコンピューターは、音声で命令し、声で返事が返ってくるものとして描かれています。1960年代には、コンピューターとキーボードが当然の組み合わせになるとは、まだ決まっていませんでした。

 この時代は、マクルーハンのメディア論の時代でもあります。マクルーハンは、テレビなどの電子メディアの普及によって、人類は文字と書物を中心にした時代から、音声や映像を中心にした時代へ向かうと考えました。『2001年宇宙の旅』のHALも、そうした時代の未来像と重なって見えるところがあります。

 ところが、その後のコンピューターは、まるで違う方向へ進みました。音声入力ではなく、キーボードがコンピューターの主要な入力装置になった。コンピューターは、人類をテキスト中心の時代から解放するどころか、むしろテキスト入力の時代を延命させたとも言えるわけです。

ーー音声と映像の時代になると思われたのに、実際にはキーボードが残った。

速水:そもそもキーボードは、タイプライターから生まれたもので、1960年代の時点でも、すでに時代遅れな装置だったと思います。けれど、それがその後のコンピューターの中心的な入力装置になり、50年以上にわたって使われ続けた。当時のエンジニアたちも、そこまで長く残るとは想像していなかったのではないかと思います。

ーーキーボードも押しボタンの一種ですよね。

速水:キーボードは、もっとも多くの人が使ってきた押しボタン装置かもしれません。そのキーボードの時代が、いまようやくソフトウェアボタンやタッチ入力、音声入力へと移りつつある。これは単なる操作方法の変化ではなく、人間が機械にどう命令するのかという問題です。だから、メディア論としても重要な話だと思います。

AI時代の機械ぎらい

ーーAIが急速に進化する時代になって、機械との関係もまた変わってきています。

速水:最近、パランティア・テクノロジーズの日本法人が渋谷でミートアップを開催していたので、参加してきました。『テクノロジカル・リパブリック』の著者で、この会社のCEOでもあるアレックス・カープも来日していて、会場に顔を出していました。僕自身も中に入って、登壇者の話を聞き、来場者とも少し話してきました。

ーー長い行列ができていたと話題になっていました。実際、どういう人たちが来ていたんですか。

速水:エンジニアやAIに関心のある人たちが中心だったと思います。ただ、僕を含めて興味本位で来ている人もいましたし、よくわからずにアパレルブランドのイベントだと思って入ってきたような人もいました。

 僕が話しかけた数人は、そろってシンギュラリティに強い関心を持っていました。AIで便利なサービスを作りたいというより、超知能AIが生まれた後の世界を見てみたい、という感じです。よくあるスタートアップのミートアップとは、少し雰囲気が違いましたね。

ーー『テクノロジカル・リパブリック』が注目されている背景には、何があるのでしょう。

速水:今のシリコンバレーへの不信があると思います。カープは、シリコンバレーの起業家たちをかなり批判しています。テック業界はアメリカを前に進めたのではなく、むしろ停滞を生んだのではないか、という見方です。

 もちろん、シリコンバレーがアメリカ経済の中心であることは事実です。ただ、製造過程を海外にアウトソーシングし、国内の産業基盤を弱くした面もある。さらに、ここ数十年のテック企業は、検索、SNS、スマホ、広告、動画配信といった個人向けのサービスに力を注いできた。それは便利ではあるけれど、国家や産業の根幹を作り直すような技術革新ではなかったのではないか。カープやピーター・ティールの批判は、そこに向かっています。

ーーアップルやグーグルに代表されるシリコンバレーとは、違う方向を向いている。

速水:そうです。アップルやグーグルに代表されるシリコンバレー企業は、カウンターカルチャーと一緒に発展したところがあります。個人を解放するコンピューター、個人の創造性を広げるテクノロジー、という考え方ですね。

 一方で、パランティアは、国家、安全保障、防衛、産業基盤にテクノロジーを結びつけ直そうとしている。個人のためのテクノロジーではなく、国家や社会の基盤を支えるテクノロジーへ戻れ、という話でもある。そこに、いまのAIをめぐる大きな分岐があるように思います。

ーーその話は、『機械ぎらい』のテーマともつながりますか。

速水:つながると思います。おもしろいのは、ティールやカープとは思想的に真逆に見えるデヴィッド・グレーバーも、現代のテクノロジーの停滞については似たことを言っていることです。

 グレーバーは『ブルシット・ジョブ』で有名ですが、僕がおもしろいと思うのは、その少し前に書かれた『官僚制のユートピア』のほうです。この本で彼は、現代のテクノロジーは停滞しているし、そもそもテクノロジーは事務業務を本当の意味では効率化していないのではないか、と論じています。

ーー普通は、デジタル化は効率化のためにあると思いますよね。

速水:そうですね。でも、グレーバーは、現代のテクノロジー装置は官僚制そのものだと見ている。書類的な手続きの多さが、デジタル装置の中にそのまま入っているということです。この話は、セルフレジがなぜ面倒なのかを説明しているように思います。

 レジ袋は使うか。ポイントカードは持っているか。バーコードを読み込め。決済は現金かクレジットか。レシートは要るのか要らないのか。セルフレジは延々と尋ねてきます。これはお役所の手続きに似ています。書類の項目をひとつずつ埋めさせられ、窓口が違うと言われてたらい回しにされる。あれに近い煩わしさが、セルフレジにはあるように思います。

ーーたしかに、便利になったはずなのに、手数だけ増えている感じがあります。

速水:デジタル化は、現実の手続きをそのまま移し替えただけだと簡略化にはならない。世の中のリスキリングやDXの大半も、ブルシット・ジョブ的なものになっているのではないかと思います。

 グレーバーは左派的な文化人類学者で、もし生きていたら、パランティアやマスクのような企業のあり方を強く批判したはずです。ただ、現代のテクノロジーの発展方法が迷走している、という点では、彼らは近い問題意識を持っている。立場はまったく違うのに、同じ停滞を見ている。そこが興味深いんです。

ーーAIの今後はどうなっていくと思いますか。

速水:正直、わからないです。ただ、考えるための歴史はあると思います。いつの時代も新しい技術への期待と不安が、同時に存在してきました。冷蔵庫も鉄道も、最初から素直に受け入れられたわけではない。AIもまた、その延長線上にあるのではないかと思います。新しい技術に戸惑うことは、単なる遅れた反応ではなく、技術と付き合うための感覚でもある。機械ぎらいという感覚も、そこに意味があるのだと思います。

■書誌情報
『機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史』
著者:速水健朗
価格:968円
発売日:2026年3月17日
出版社:集英社

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