『じゃりン子チエ』や『深夜食堂』が浪曲に? 現代の小説や漫画を題材にする意義とは

 2026年2月3日は、演芸界において歴史に残る1日となった。

 歌舞伎の公演会場として知られる大阪松竹座において、真山隼人・沢村さくらのコンビが浪曲「じゃりン子チエ」の会を開催したのである。松竹座の歴史において浪曲師が単独で会を開いたのはこれが最初である。既報のように本年内に松竹座は閉場が決まっているので、最後の会にもなる。ゲストとして関西若手首位の落語家・桂二葉を招き、1000人を超す観客を前に真山隼人が浪曲を披露した。

 はるき悦巳『じゃりン子チエ』は、双葉社「週刊漫画アクション」に長きにわたって連載された同誌の看板作品である。モツ焼き屋の店主だが博打好きのろくでなし・テツと、その娘で小学生ながらに店の看板娘を務めるチエちゃんを中心とした、連続喜劇漫画だ。

 1981年には映画公開、続いてTVアニメの第1シリーズが放送された。主人公・竹本チエに中山千夏、その父・テツに西川のりおを演じるなど、関西を代表する喜劇俳優・芸人などが声優を務めたことでも話題になった。特に関西では根強い人気があり、1983年にアニメの第1シリーズが終わったあとも、1991年に関西のみで放送される第2シリーズが作られているほどである。

 その大阪の魂ともいえる作品を真山隼人が浪曲化した。現在30歳の真山隼人は中学卒業と同時に浪曲師として弟子入りしたというこの世界の申し子で、国立演芸場の花形演芸大賞金賞を2年連続して受賞するなど、若手のホープとして注目されている。現在の住所は『じゃりン子チエ』の主舞台となる大阪環状線南部であり、まさに地元の浪曲師としてこの作品に挑んだ。現在まで3作が口演されており、松竹座の後も原作浪曲化は続く予定だ。

 さらに漫画の浪曲化としては、松竹座の直後、東京都江東区の深川江戸資料館小ホールにて、小学館ビッグコミックオリジナル連載の人気作品、安部夜郎の『深夜食堂』浪曲化に挑む。こちらは大人の人情話で、人相は悪いが気持ちの温かいマスターが営む深夜食堂に集まる客たちの物語である。決まったメニューはないが、材料があればどんな料理でも作ってくれる。それに舌鼓を打つうちに客たちの心もほころび、思いの丈を吐露するようになる。TVドラマ化もされており、マスターは小林薫が演じて当たり役となった。大阪の庶民喜劇『じゃりン子チエ』と東京の大人の人情ドラマ『深夜食堂』、二つの武器を真山隼人は手に入れたことになる。

 この他、真山隼人は京極夏彦『巷説百物語』の浪曲化にも挑んでおり、2025年夏には第一話にあたる「小豆洗い」公演を東京と大阪で開いた。この夏にはもう一人、真山隼人の後輩にあたる天中軒すみれも大きな題材に挑んだ。夢枕獏『陰陽師』の浪曲化である。こちらも第一話にあたる「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」を「琵琶玄象」として二度公演している。三味線は関東浪曲界の第一人者・広沢美舟である。真山隼人が文芸浪曲の道を切り開き、天中軒すみれがそれを追走する形だ。

 そもそも、日本の口語小説は大衆演芸と深い縁がある。

 講談と落語の速記を出版したのが、大衆向けの読物としては出発点になっているからだ。出版社が講談の速記だけでは足りなくてオリジナルの読物を書き手に依頼したことが、昭和前期の時代小説ブームを生み出した。演芸と小説は表裏一体の関係だったのだ。

 講談・落語・浪曲は日本の三大話芸として並び称せられる。だが他の二つが近世以前に現在の形になっているのに対し、浪曲は明治以降の成立で歴史が浅い。後発ということもあり、浪曲は他のジャンルから貪欲に原作を吸収してきた。古典的な話の9割はおそらく講談由来だろう。落語から来ているものもある。それだけではなく、昭和期に入って急激に人気が出てきた映画からも原作を採っている。当時の文芸作品は話題になれば映画化されることも多かったが、そうした作品の多くが浪曲化されている。悪い言葉を使えば、無断でパクったのだ。泉鏡花など、自作を無断で使われたため浪曲を快く思っていない作家も多かった。かなり乱暴な演芸なのだ。

 隼人・すみれの文芸浪曲路線にはそうした昭和期と完全に違う点がある。作者と出版社に筋を通し、著作権行使の権利を取得してから公演に臨んでいる点だ。当たり前ではないか、と言われるかもしれないが、昭和の浪曲はその当たり前が軽視されていたのである。

 もちろん浪曲には数多くの演目が存在する。浪曲というのは落語と違って、一つの演目を複数の演者が共有することがない。ある一門の得意とする演目を、他の一門が演じることができないのが普通なのである。

 これは、浪曲が新しい演芸であることに起因している。浪曲で演じられる演目は、その浪曲師が自作するか、誰か作家に書かせたものなのだ。出処がはっきりしているのである。

 だがそうなると、一門ごとにネタは限られてくる。また、演目のほとんどは大正から昭和にかけて作られたものなので、令和の今となっては時代からずれてしまっている。コンプライアンス的にそれはどうなの、という話ばかりなのである。

 それをこのままやり続けたら浪曲は過去のものになってしまう、というのが真山隼人の出発点だろう。浪曲には前述のように文芸作品を取り込んできた歴史があった。隼人にとっては師匠の師匠、大師匠にあたる初代真山隼人や、そのさらに師匠である京山華千代は、文芸浪曲を盛んに演じた。関西浪曲界の巨人であった二代目春野百合子のように、三味線と言葉を徹底的に練り込んだ「文体」を持つ文芸浪曲で一世を風靡した人もいる。そうした先人の教えが隼人の中に流れているのである。

 現代に通用する浪曲を、現代の読者に愛されている小説や漫画から採ろう、という発想はこうして生まれた。著作権処理をおろそかにしないのは、原作及び作者への強い尊崇の念があるからでもある。原作者に筋を通して公にやる二次創作とでも言うべきか。いつか、コミケ会場でも口演してもらいたい。

 ひとごとのように書いたが、以上のすべて、隼人『じゃりン子チエ』『巷説百物語』『深夜食堂』、すみれ『陰陽師』の浪曲化にあたっては、筆者が関わって著作権取得などのために働いている。『陰陽師』の「琵琶玄象」については台本も担当した。

 文芸の道で食べているライターであるということもあるが、浪曲に未知の可能性があるからでもある。

 浪曲は啖呵と呼ばれる地の文や会話と、節と呼ばれる歌の部分から成り立っている。浪曲師は突然歌い出す。これを唸ると言う。オペラに似ているが違う点は、浪曲には譜面による決まった進行がないことだ。浪曲師と三味線の曲師は、息を合わせながらその場その場の浪曲を作り上げていく。この即興性がおもしろい。

 また、プロットやストーリーではなく、節を唸ることで観客の心を動かすことで舞台が成立するというように、理屈ではなく感情に訴える演芸である点も重要である。人の心を動かすことは難しい。それをどうすればいいか、という手がかりをもしかすると浪曲は小説に教えてくれるかもしれない。浪曲化の題材として選んでいるのも、人情の機微に溢れていたり、たまらなく喜怒哀楽の感情を催させるものであったり、理屈だけではその魅力を紹介できない作品ばかりだ。感動を形にするにはどうすればいいか、という実験とも言える。

 真山隼人と天中軒すみれの冒険はまだ始まったばかりである。ぜひ一度、その可能性に触れに来ていただきたい。直近は2月7日、浪曲『深夜食堂』初演である。心を震わせてくれるものに出会いたい方はぜひ。

■関連情報

浪曲「深夜食堂」(原作:安倍夜郎。小学館「ビッグコミックオリジナル」連載中)
2月7日(土)19時開演(18時半開場)
深川江戸資料館小劇場(東京都江東区白川1−3−28)
予約・問い合わせ先:杉江 sugiemckoy@gmail.com

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