太宰治、東野圭吾、柚木麻子……日本文学が英米で人気がある理由とは?
タイトルだけ見ると、よくある「日本スゴイ!」式の新書かと思うかもしれない。だが、著者の鴻巣友季子は、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、マーガレット・アトウッド『誓願』など英語圏の小説を訳してきた翻訳家であり、文芸評論家としても多くの著作がある。本書は、日本文学が海外でどのように受容されているかというジャーナリスティックな関心に答えるだけでなく、翻訳家としての実践や文芸評論家としての思索を通し、近年の世界的な文学状況を語る評論の側面もある。タイトル以上に奥行きがある内容だ。
日本語の小説が翻訳される流れができてきた
海外における日本文学といえば、村上春樹の人気が語られ、ノーベル文学賞の有力候補だと話題になるようになって久しい。だが、2010年以降は、多和田葉子『献灯使』(満谷マーガレット訳)の全米図書賞翻訳部門(2018年)、柳美里『JR上野駅公園口』(モーガン・ジャイルズ訳)の同賞(2020年)、柚木麻子『BUTTER』(ポリー・バートン訳)のブリティッシュ・ブック・アワードのデビュー小説賞、全英書店協会読者投票新人賞、ウォーターストーンズ(英国最大級書店チェーン)のブック・オブ・ジ・イヤーの3冠(2024-2025年)、王谷晶『ババヤガの夜』(サム・ベット訳)のダガー賞翻訳部門賞(英、2025年)など日本の作家が受賞したり、賞の最終候補となる例が続出した。
『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』(ハヤカワ新書)は、そうした状況を解説する本であり、英語圏での動向を対象としている。アジアなどでも日本の小説は翻訳されているが、著者が英語の専門家であるためだろう。また、もう一つ注目すべき点がある。本書でも言及している通り、水村美苗が2008年に刊行した『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房)は、世界でメジャーな英語の支配力が強くなり、作家が読者を獲得するためには英語で書かなければならず、日本語のようなマイナーな言語は退潮していくと予言し話題になった。ところが実際は逆に、日本語で書いた小説が、英語に訳され評価される流れができてきたのだ。本書は、その経緯を書いている。
外国語文学が受け入れられるようになった事件
世界で英語がメジャーな言語であることの裏面として、かつて英米では外国語への敬遠から翻訳書が忌避されがちだった。このため、表紙に訳者の名を載せず、はじめから英語で書いた本だと勘違いする読者もいた。状況が変化した一因は、2001年9月11日のイスラム過激派によるアメリカ同時多発テロ事件だったと、著者はみている。事件が、異文化理解を深めようという意識を呼び、翻訳の活性化につながったというのだ。それによりヒスパニック系など非英語圏の小説も翻訳で読まれるようになり、日本文学も注目されるようになったのだった。
一方、日本では文化庁が2002年から「現代日本文学翻訳・普及事業」(2012年の事業仕分けで廃止判定)を進めたほか、日本財団が2009年度から若手日英翻訳家の育成プログラムを開講した。その出身者が、近年の日本文学翻訳で活躍している。さらに、2014年にイギリスの代表的文芸誌『グランタ』が日本文学特集を組んだことが、寄与した。同号には今では海外で人気の村田沙耶香のほか、川上弘美、小山田浩子、本谷有希子、増補版には小川洋子、平野啓一郎、阿部和重などの作品が掲載され、以後の英語圏における日本文学紹介の土台になったとみられる。
海外で人気のある日本の作家たち
本書ではこれら以外にも、海外での日本文学への注目には様々な要因があることを詳述している。単純な「日本文学スゴイ!」ではないのだ。著者は現在の状況を整理して、女性作家の躍進、新世代翻訳家の台頭、翻訳小説マーケットを支える若い読者層の3点をあげる。英語圏ではもともと女性作家の比率が少なく、翻訳の男女比も同様だったが、是正しようと「ウィメン・イン・トランスレーション」の運動が立ち上げられ、女性作家対象の賞も設立されている。そうした動向が、ヒスパニック系や日本などの女性作家を後押しした面もあるようだ。
本書では主に純文学をあつかっているが、日本の古典的作家では太宰治、松本清張が近年話題になったこと、同時代作家ではミステリー・犯罪小説で東野圭吾、横山秀夫、伊坂幸太郎などが好調であることを紹介している。また、魔法の猫やタイムトラベルなどマジカルな要素や、喫茶店や図書館・書店などを舞台にしたハートウォーミングなヒーリングフィクション(川口俊和、八木沢里志など)が、英米で人気だという。英訳者の間で「翻訳されるのは猫本ばかり」との声があるとは、驚かされる。
本書は私たちが海外文学を読む意味も教えてくれる
本書の海外動向の解説は興味深いものばかりだが、そもそも翻訳とはどんな行為かについても語っている。先にメジャーな英語とマイナーな日本語の非対称性に触れた。異言語を自国言語に置き換える際、その国で理解しやすく好ましい解釈で行う「馴化(じゅんか)翻訳」「同化翻訳」と、原作の文化や言語の異質性を強調する「異化翻訳」がある。メジャーな英語を用いるアメリカなどで、読者の獲得しやすさといった商業的要請から「馴化翻訳」をすると、マイナーな言語の民族・人種を差別的に抑圧する形になる場合がある。著者は、この問題に注意をうながす。
同時に、そのような弊害がありながらも、翻訳を通して異文化に出会う世界文学の意義を説く。「どこの国でも、翻訳文学にはその国の文化が言いたくても言えないようなこと、言葉にしづらいことを代弁する働きがある」という一節が、著者の考えをよく示しているだろう。本書は、日本文学の海外進出を解説した内容だが、同時に私たちが海外文学を読む意味を教えてくれるものともなっている。この新書には、21世紀に入ってからの内外の文学動向をまとめた『文学は予言する』(新潮選書)、小説というジャンルの成り立ちと発展を論じた『小説、この小さきもの』(朝日新聞出版)という著者の文芸評論書の知見が活かされている。翻訳という行為、世界文学などに興味を持った方にはあわせて二冊をお勧めしておく。
■書誌情報
『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』
著者:鴻巣友季子
価格:1,254円
発売日:2025年12月17日
出版社:早川書房
レーベル:ハヤカワ新書