大東亜共栄圏の源流は外務省にあったーー三冠受賞でランク急上昇の『外務官僚たちの大東亜共栄圏』

 12月25日のAmazon売れ筋ランキング「本」部門で25位にランクインしていたのが、熊本史雄の『外務官僚たちの大東亜共栄圏』である。今年5月に発売された本だが、すでに第20回樫山純三賞と第29回司馬遼太郎賞を受賞。さらに24日には第25回大佛次郎論壇賞を受賞したことが発表されて三冠を達成したことで注目を浴び、順位が急上昇したようだ。

大東亜共栄圏構想の根本は外務省にあった

熊本史雄『外務官僚たちの大東亜共栄圏』(新潮選書)

 本書はタイトルの通り、いかにして日本が「大東亜共栄圏」という無謀な対外膨張策へと至ったかを、外務省のエリート官僚たちを軸に書いた本である。大東亜共栄圏といえば、太平洋戦争中に提唱された概念であり、日本・中国・満州・フィリピン・ビルマ・タイ・インドといったアジア諸国が欧米勢力を追い出し、政治・経済的な共存共栄を図る構想だとされている。聞こえはいいが、実際にはアジアにおける日本の資源確保と政治的支配を正当化するためのスローガンとして使われた側面があり、またこの構想の成立経緯も後付けの泥縄式であったという。結果的に大東亜共栄圏の実現を謳った日本は敗戦し、この構想をめぐる是非は現在も大きく割れている。

 従来は対外拡張を狙う軍部やアジア主義を掲げる右翼が、この構想の発生源とされることも多かった。しかし熊本は大東亜共栄圏構想の根本は外務省にあるとし、日露戦争後から40年にわたる日本の外交政策を検証して、どのようなルートを辿って外務省が大東亜共栄圏という構想に至ったかを紐解く。大東亜共栄圏構想に関して外務省の行動から切り込んだ著作は少なく、本書の着眼点はかなり目新しいものと言える。

なぜ外務省は外交上の矛盾を乗り越えらなかったのか

 本書によれば、大東亜共栄圏へと至る道の第一歩は日露戦争以前にある。日清戦争勝利後、日本の外交当局はロシアの南下政策への対応を迫られた。ロシアとの協調か対立かに揺れつつ、日本は1902年に日英同盟を締結。さらに朝鮮半島への進出が疑われるロシアの行動を前にして政府は対露強硬策をとり、1904年には日露戦争が勃発する。

 日露戦争当時の外務大臣は、小村寿太郎である。日本史の授業で「不平等条約を改め、関税自主権を回復した」と習う、あの小村だ。日露戦争開戦前は満州を「日本にとって利益の少ない荒れた土地」としか思っていなかった小村は、日露戦争の勝利によってロシアから南満州の権益を引き継いだことにより、大陸国家としての日本の姿を構想。「諸外国にも満州経営の窓口を開いているポーズはとりつつ、実際には日本が可能な限り排他的に満州へと進出し、その権益を得る」ことを画策し始める。

 さらに外交関係の進展を経て、1911年には内蒙古の東側が日本の勢力圏に入り、「満蒙」の権益拡張は日本外交の基礎的なテーマとなる。しかし、第一次世界大戦を経た米英は、日本の大陸進出を警戒。対米英や国際社会に関してはその時々でうまく協調しつつ、その一方で満蒙権益を確保し拡張するという矛盾した課題に挑むことが、日本外交の大きな課題となっていく。

 外務省高官たちがこの矛盾に対していかに取り組み、なぜ最終的に大日本帝国を破綻させる構想へと辿り着いてしまったのかを、本書は大量の史料をもとに描き出す。「国際的にはほどほどに協調しつつ、その裏では満蒙を植民地として権益を貪る」という外交方針は、最初から矛盾している。外務省はこの矛盾にパッチを当てようとするも根本的な克服はできず、そうこうしている間に満州事変が起こり、日本の国際的立場は危うくなり、日中戦争は泥沼化し、最終的には大東亜共栄圏という「究極のダブル・スタンダード」へと行き着いてしまう。エリート中のエリートが集められたはずの外務省が、なぜ外交上の矛盾を乗り越えられず、大東亜共栄圏という無謀な失策に辿り着いてしまったのか。なんともやるせない経緯を、本書は克明に書き記す。

国際的な状況が流動化しているいま、必読の本

 興味深いのは、この矛盾を解消するべく外務官僚たちから出たアイデアも、本書ではしっかりと紹介されている点だ。特に小村寿太郎の長男である小村欣一が唱えた「満蒙供出」論については、「こんな政策を唱えていた官僚がいたのか!」と驚かされた。領土・勢力圏ではなく、実際に利益を生み出す「事業」に着目し、英米をうまく牽制しつつアメリカの資本を満蒙・中国に呼び込むというこのアイデアの詳細については、ぜひ本書を読んでみてほしい。この策が実現していれば、その後の歴史はかなり違ったかもしれない……と思わされる、驚きのアイデアだ。

 本書のもうひとつの大きな価値と言えるのが、「現在我々が太平洋戦争を語る上で前提となっているような理屈は、当時の外務官僚たちが少しずつ作り上げていったものである」ということを順を追って説明している点だろう。たとえば、「太平洋戦争はアジアを解放し復興するための戦いである」という理屈にしても、実は太平洋戦争開戦時に最初から存在していたものではない。このテーマは1943年11月に開催された大東亜会議で採択された「大東亜共同宣言」で戦争目的の正面に据えられ、そしてそこに至るまでには「東亜」「興亜」といった概念の発見があり、その根本には日露戦争以来40年にも及ぶ日本外交の矛盾があった。現在よく知られている太平洋戦争に関する概念や理屈は、その時々の外交上の必要から生み出されたものであり、本書はその成立のプロセスを詳細に記述している。

 「太平洋戦争はアジア解放・復興の戦いであった」という命題の是非を問う際、その命題が一体どこからどのようにして生まれたものであるかを正確に知っておくことは必須だろう。そしてそれらの命題の成立過程を知ることは、日露戦争から敗戦に至るまでの歴史を「外務省」という切り口から問い直すことにもつながっていく。ボリュームのある本でもあり、学術的な書籍の記述方法に慣れていないと難しく感じる点もあるかもしれない。だが、国際的な状況が流動化している昨今、外務省の生み出した矛盾とそれをめぐる40年の悪戦苦闘について知っておくことは、無駄にならないはずである。時間のある年末年始に読む歯応えのある一冊として、強くおすすめしたい。

■書誌情報
『外務官僚たちの大東亜共栄圏』
著者:熊本史雄
価格:1,980円
発売日:2025年5月21日
出版社:新潮社 レーベル:新潮選書

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