鈴木涼美「幸福にならないといけないなんて、誰が決めた」 男と寝ては幻滅する小説『典雅な調べに色は娘』を書いたワケ

鈴木涼美『典雅な調べに色は娘』(河出書房新社)

 鈴木涼美の最新小説『典雅な調べに色は娘』(河出書房新社)の主人公は、元・夜職の女の子だ。名前はカスミ。現在は企業の広報担当を務めるOL。27歳。彼女はまるで退屈をまぎらわすように、あるいは仕事の一環のように、男と寝る。男と寝ては幻滅し、しかしまた何となく寝ては幻滅するを繰り返す——たとえ相手が鼻毛ボーボーで還暦を迎えた環境学者であろうとも、包茎手術痕のあるペニスがツートーン・カラーの経済記者であろうとも。

 カスミがベッド上でまぐわった一癖も二癖もある男たちを、ポップかつアイロニカルな視点で冷静に観察しつつ、その愚かさを生々しく描破していくこのギャル式パンク小説は、深夜0時を回った都会に生きる女性しか知りようもない「夜の叡智」をこっそり読者に教えてくれる。安易に「成長」することを拒絶して夜の街を刹那的に生きるカスミを、子どもを産んで「母」になった鈴木涼美はなぜ今も描くのか。

 小説に出てくる固有名詞へのこだわりといった細部から、執筆当時の背景であるコロナ禍といった大きな社会的事象まで、適度にポップにお尋ねした。(聞き手・構成/後藤護)

「テンガ」と「イロハ」という音を入れ込みたかった

——これまでの小説は『グレイスレス』とか『ギフテッド』とか、短くカチッとしたタイトルが多かったと思うんですが、ここにきて『典雅な調べに色は娘』とやや長めの風流な響きの日本語になって、雰囲気が変わった印象です。まずはこのタイトルになった理由を教えてほしいです。

涼美:女を穴としてしか認識せずに女体でマスターベーションする男たちと、やはり男性自身を眼差そうとせずにマスターベーションの道具に甘んじる女の話にしようと最初に決めたので、TENGA(テンガ)っていうオナホールとiroha(イロハ)っていうフェムテック系のバイブレーターをタイトルに入れたかったんです。っていうのも、私自身が男女の関係は——たまにはお互い尊重し合って成長し合うようなパートナーもいるのでしょうけれども——多くの場合はお互い都合の良い幻想を押し付け合ってオナニーしているみたいなものだとどこかで思っているんです。うん、だから「テンガ」と「イロハ」という音を入れ込みたかっただけなので、実はあまり深い意味はないですよ(笑)。

——今のお話を聞いていたら、小説のなかのゴールデン街のくだりで一度だけ野坂昭如の名前が出てきたことが個人的にすごい腑に落ちたんですよね。『エロトピア』とかで野坂さんの書いていた好色エッセイの「典雅」でいながら遊び心のある言語感覚に、今回のタイトルのセンスは近い気がします。もしかして名前も出すくらいだから、涼美先生、野坂さんからの影響が実はちょっとあるのでは?

涼美:うん、好きですよ。でも、あんまり野坂昭如について語ることは普段ないんだけど。今回たまたま名前出すとしっくり来るとこがあったので。ゴールデン街について彼が書いた文章が、とあるVシネの中で引用されているんです。登場人物の男が野坂昭如の言葉を引用して街の性質について語るんですよ。それが私の中ですごい印象に残ってて、私のゴールデン街観に影響を与えた。すごい昔に見たやつなんですけど。

——野坂昭如は一つの例ですが、この小説は読者が「おっ」ってなるような固有名詞が割と出てきますよね。

涼美:固有名詞がふんだんに使われる文章、私がとても好きなんです。私自身もエッセイではすごく固有名詞に頼るところがあって、「あのジミーチュウ持ってるタイプの男」みたいな表現で語れることって、すごく多いじゃないですか。だけど、というかあまりに便利だから、小説ではそこをかなり抑制してきたんですよ。バッグや服だけでなく、街の名前も使っていないこともありました。固有名詞に語らせてしまえるところをなるべくサボらずに言葉を尽くしてみようと思っていたから。だけど、今回は自由に楽しんで書きたい本だったし、今の時代を生きる若くて逞しい女のバイブスや勢いみたいなものを大事にしたかったので固有名詞も使いたいところは思うままに使うことにしました。ちょっと訴えられそうなとこはボカしつつ(笑)。だから、普段私のエッセイを読んでる人好みの固有名詞の出し方はしてると思うんだけど。

——本当にそうですね。涼美先生のギャルエッセイのパンキッシュなノリと、今まで書いてきた文学賞候補にもなっちゃうような小説の端正なテクニックが、無理せず一緒になったような印象でした。

涼美:これは肩肘張らずに書こうと思って。私の中で200枚以内の中篇って割と勢いよくいっぺんに書くことが多かったのだけど、今回は連載だったから長い期間書くもんだし、長い期間考えるから、やっぱ楽しい方がいいじゃないですか。

——連載形式だからなのかな、読んだ身としては、最初の方は重めかなと思って読みはじめて、真ん中ぐらいでポップになってきたなって感じて、最後にすげえユーモア爆発してないか!?と思って、何段階もモード・チェンジしている印象がありましたね。

涼美:私途中で妊娠したりしたから、テンションもちょっと変わっていたりするからね。独身時代は自分もカスミと同じ若い子だっていう自意識で書いてたのが、結婚妊娠してもう少しカスミと距離のあるオバサンな気分で途中から書いてたりとか。連載の最後の回は、産後だったしね。

——それで言うと連載開始の頃はコロナ禍だったんですか。

涼美:あ、そうですね。この前に出した『ノー・アニマルズ』とかもそうなんだけど、コロナ背景の小説書いとこうと思ったんですよ。この異常事態は、私が生きているうちにまた訪れるわけじゃないと思うから、こんときの特殊な空気みたいなのを書き残しておきたいみたいな。で、多少意識してコロナ禍設定にはしてあるんです。

——コロナが落ち着いてからたった数年ぐらいですけど、割ともうみんな忘れちゃっていて、話題にすらならないのは何か怖いですよね。

涼美:そう、忘れてる。居酒屋とか全部閉まってたこととか「そういえば」みたいな感じじゃないですか。私、コロナの一番最初の非常事態宣言でロックアウトになった時に歌舞伎町行ったんですが、私の愛してる歌舞伎町があんなにも人気がないことが衝撃で。その後、歌舞伎町はものすごく勇み足で復活するんですけど、都知事とか一部コメンテーターにすごく槍玉にあげられた。夜の街をべつに私はしょっているわけじゃないし、いまは別に夜の街の住民ではないけど、ずっとそこで経験させてもらったことを書いてる身としては、応援団気分ではあるわけです。なので、コロナ禍だったからこそコロナ禍の夜の街が出てくる小説は書いておきたい、みたいなところはありました。

おじさんたちは自分が「見られてる」なんて意識は全然ない

——素晴らしい。ところで、やっぱりこの小説を読んで大方の読者がドギモを抜かれるのは、初っ端からセックスしている環境学者の白髪まじりでびっちり生えた鼻毛のクロースアップとか、記者の包茎手術痕のあるツートーン・カラーのペニスとか、カスミが寝るおじさんたちのボディの執拗なまでに克明な記述ですね。

涼美:それはやっぱり私や私みたいな女たちが実際に間近で見て来た光景だから(笑)。今回は特にセックスが無礼だったり、一見正しいことを言ってるようでじつは女のことを見くびってる男とか、そういう過去に引っかかった男たちをゆっくり思い出しながら、「あの人のこの仕草はどっかで使いたい」みたいなストックをいっぱい出してってキャラクターを作っていったので、すごい身に覚えがある男性はいるはずだし、見たことがあるなって思ってくれる女子はいるはずなんですよ。

——おじさんにつけるあだ名のギャルセンスも今回は読みどころだと思います。小説の最後の方で「自己イメージの更新ができない青春不完全燃焼の旧式 MDプレーヤー男」ってありますけど、これ立ち直れないでしょ(笑)。こうした尖った言語のセンスを磨く上で、お若いころから勘違い男たちにジャストフィットなあだ名をつける訓練をしていたのでしょうか。

涼美:女の子は実はみんなそれくらいちゃんと男の人を見てますよ。でも、男の人って自分らは「見る」側だと思ってるから、「見られてる」意識がすごい低い気がします。私ね、ブルセラで働いてたとき、マジックミラーのこっち側にいたわけだけど、あっち側にいたおじさん達って「この子たち、馬鹿だな」って思いながら女子高生を物色してたかもしんないけど、実は先生とかお父さんが来たらすぐ逃げれるように、ちゃんと隠しカメラがあったんです。つまり私たちもおじさんたちのアホ面見てたんですよ。だけど、私たちは「見られてる」っていう意識死ぬほどあるけど、おじさんたちは自分が「見られてる」なんて意識は全然なくて、なんかちょっとチンコとかいじりながら選んでる人いるんですよ(笑)。セックスする時だって男はさ、女の人が綺麗だなとか、ちょっと太ってるなとか思って、「見る側」って思ってるかもしれないけど、(黒眼鏡のインタヴュアーを指さして微笑んで)「お前も見られてるぞ!」って言いたい。

——ギクっ(笑)。たしかに言われてみると、男女のいわゆる「見る/見られる」関係っていうのをひっくり返して、女性であるカスミが徹底的に「見る側」のおもしろい小説なんだって、今聞いてハッとしました。

涼美:男性に興奮してもらおうと思って書いている官能小説って、やっぱり女の体の描写はすごく精巧で美しいんだけれども、男の体の描写ってそんなになくて、AVだって女の身体ばかり撮って、男の身体をそんなに撮ってないじゃないですか。私はだから、今回のミッションとして、余すことなくエロシーンを書いても男が一ミリも勃起しないみたいな、男が全然喜ばないエロシーン書きたいなって思ってた。それってなんだろうって思ったら、やっぱり男の人が「見られてる」ってものすごく自覚しちゃう書き方だなと思ったんですよ。男が喜ばない、むしろ嫌がるエロシーンって女性にとって書くのは容易くて。というのも自分らはそうやって見てきたわけだから。

——で、後半に進むと、個人的にこの小説のキーワードな気がするんですが、ダメ男たちとのセックス遍歴を「珍味博物館」って喩えているところがあります。カスミがベッドでまぐわった一癖も二癖もある男たちを思い浮かべながら出てきたパワーワードですが、涼美先生の『娼婦の本棚』って名著で、最初にルイス・キャロルの『アリス・イン・ワンダーランド(不思議の国のアリス)』が取り上げられているじゃないですか。だからこれ、もしかしたらダメ男達とのセックスを巡る一種の『カスミ・イン・ワンダーランド』みたいな解釈もできるんじゃないかと。

涼美:そういう側面はすごくあって、オモロイ男達の博物館めぐりっぽい読み方ができたら、読む方も書く方も楽しいなと思っていたので。読み方は自由なので、どう読んでもらってもいいんだけど、私は「変な生物事典」とか「変なチンコ事典」みたいな意識はかなりありましたね。へんてこな生物がいっぱい出てくる不思議の国に迷い込んでしまう『アリス』が私は好きなんですよ。で、やっぱり夜の世界も変な世界だけど、昼も変だと思うんです。私が新聞社で働いていたときのそういった感覚が、今回の小説にはすごく詰まってる。

わかりやすく成長する物語は読んでいて距離を感じてしまう

——カスミは、スズミであり、アリスでもあると。ところで、小説執筆中に出産に入ったというお話でしたけど、涼美先生の文学はお母さんが強烈なオブセッションの対象としてあったと思うんですけど、逆に今度は自分がお母さんになってくると、文学的スタンスが変わってくるのかなって素朴に思うんですけど、今のところどうです。

涼美:もう、どうしよ~って感じ(笑)。ただでさえ私、すごく若い女子が好きだから、自分も若い女子というある種の無敵状態で、権力もってるおじさん達とか社会に対して中指立てて生きていこうと思ってたけど、そういうの年齢的に厳しくなっていくじゃないですか。なおかつ、母になっちゃうと自分の精神的な若さとか、傍若無人なとことか、反体制っぽい不良っぽさみたいなものって、ますます削がれてくし、子供がいると行政とも仲良くしなきゃいけないみたいな感じするじゃん(笑)。

——やっぱりお子さんが生まれちゃうとどうしても、保守化せざるを得ない部分が出てくる?

涼美:でもだから、産んでほとんど最初の年にこの本出せるのはすごい嬉しくて。これなんか、親にも娘にもあんまり見せられない感じの描写、いっぱい出てくるじゃないですか。なんか私、最近あんまりそういうご近所に配りにくい本出してなかったので。昔は本当に『AV女優の社会学』とか『身体を売ったらサヨウナラ』とか、タイトル的に親が知り合いに「娘の本です」ってあげにくい本ばっかり書いてるつもりだったんだけど、最近、何かちょっと大人なしめだったかなと実は反省していて(笑)。今回はカスミがすごい頑張ってくれて、体張ってくれたおかげで、母親っぽくない小説が出せて良かったです。いきなりさあ、子供産んで、ちょっと変わっちゃったな、みたいなの寂しすぎるし。もちろん私はずーっと若者じゃないから変化を楽しみたいっていう気分と、同時に母になって「小さくまとまりやがって」みたいに思われたくない反骨の気分もあって、どうやってバランスをとるか模索中です。私がやっぱり一番守りたいと思ってるAV女優とか、風俗嬢とか、キャバ嬢たちをちゃんと捉えたものは、今後も書きたいと思ってるんですよ。産んだからって、彼女たちより娘のほうが大事って思わない。

——じゃあ、もしかしたら今後の涼美先生の文学は、さらにアンビバレンス度が上がっていく可能性がありますね。最後に、本の中身と装丁にまたがる質問になりますが、帯文に「まだ0時前、夜は長い」ってあります。小説を読み終えて驚くのは、これ、小説の最後の一行のサンプリングですよね。だからある意味、読者は読み終えるたびに冒頭に送り返されるわけで、カスミといっしょに夜の街をさまよい続けるエンドレスな構造でもあると思うんです。「0」という記号自体がぐるっと円環して、もとに戻るイメージを呼び覚ますというのもあります。

涼美:カスミが変に成長しちゃう物語にしたくなくて。私は主人公がさ、あんまりわかりやすく成長する物語は読んでいて距離を感じてしまうんですよ。絵本とかでも、森の中に入って、出てくると見える世界が変わってたりするじゃないですか。私、絵本でもなんかあんま変わってねー、みたいな方が好きなんで。自分も男も女もみんなも、変わるべきところ、ほんとになかなか変わらないし、そう簡単に成長しないじゃないですか。

——同感です。尊敬するアングラ漫画家の丸尾末広さんも「一ミリだって成長しないぞ!」という名言を残しています。

涼美:しびれますね。だから私もね、そう簡単に幸福になんかなってやるもんか、って思っているカスミが好きなんですよ。幸福にならないといけないなんて、誰が決めたんだろうって、ずっと思ってたから。

■書誌情報
『典雅な調べに色は娘』
著者:鈴木涼美
価格:1,980円
発売日:2025年11月12日
出版社:河出書房新社

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