お飾り社長が異世界転生、現実世界よりさらに絶望的な立場にーー『汝、暗君を愛せよ』の後ろ向きな面白さ
最近出版されている、ネット発の異世界ファンタジーに、骨太な作品が増えている。本条謙太郎の『汝、暗君を愛せよ』も、その一冊といえるだろう。主人公の“ぼく”は、異世界の大国サンテネリ王国の若き国王、グロワス十三世に転移。これだけ見れば、よくある異世界転生ものだ。しかし“ぼく”が転移した切っかけは、自殺によってである。
現代の日本で小さな広告代理店に数年勤めていた“ぼく”は、父親の死によって実家の造園会社を継いだ。幾つも営業所を持つ、かなり大きな会社である。最初はやる気があったが、新規開拓も新事業も上手くいかず、十年経つ頃にはお飾り社長になっていた。そして発作的に、自宅のマンションの三十一階から飛び降り自殺をしたのである。
だが、死は終わりではなかった。なぜか目覚めてみれば、王になって一年のグロワス十三世に転移(精神憑依?)していた。しかし状況は最悪だ。先代の戦争により、軍はボロボロ。王国は巨額の赤字財政となっている。さらに“ぼく”が転移する前のグロワス十三世は、己の理想だけを信じて、無茶な国策を打ち出しており、能力のある重臣たちの心は離れている。そんな王国に列強も干渉しようとしていた。四面楚歌でお先真っ暗。それでも自分が生き残るために、破綻寸前の国家をなんとかしようとするのだった。
異世界転移のパターンは幾つかある。その中に自殺も含まれる。といっても異世界で成り上がったり、調子よく活躍するための前振り以上の意味しかない作品が多い。しかし本書は違う。かなり繊細で、そこそこ聡明な“ぼく”は、異世界転移したことで、現実世界よりさらに絶望的な立場に置かれたことを理解する。そして自分を「暗君」と規定した上で、生き残るために足掻くのだ。この足掻きこそが物語の読みどころである。王国と王の現実が見えすぎる“ぼく”にとって、周囲は落とし穴だらけ。毎日が綱渡りである。
それでも王国をどうにかしなければならない。有能な重臣たちとの距離を測りながら、近衛軍と王国軍の統一など、さまざまな改革に手を付けていく。“ぼく”の目指しているものがはっきりするのは終盤だが、なるほど、そこまで見据えていたのかと感心。彼はけして「暗君」などではない。
事実、周囲の人々は“ぼく”が転移した後の、グロワス十三世の評価を変えていく。本書は“ぼく”の視点がメインになっているが、随所に周囲の人々の視点が入る。そこに映るグロワス十三世の姿と、“ぼく”が思い込んでいる姿の違いに苦笑してしまうのだ。
ではなぜ“ぼく”は、そこまで自分を信じられないのか。現実世界での社長時代の記憶が、足を引っ張りまくっている。この手の作品は、現代知識がチートになるという展開が少なくない。だが、近世ヨーロッパ風の異世界で、そんな知識が活用できる余地はほとんどないのだ。それどころか社長時代の嫌な記憶を思い出しては、後ろ向きになってしまう。結果的に極めて内省的なキャラクターになっているが、だからこそ国を改革できるのである。非常に舵取りの難しい主人公を巧みに動かし、大国の時代の転換点を表現する、作者の手腕が素晴らしい。
さらに本書は、ハーレムものにもなっている。王家の家宰であり王国宰相の父を持つ、フロイスブル侯爵家の令嬢ブラウネ。近衛軍総監である父の副官を務めるバロワ伯爵家の令嬢メアリ。諸侯第一の力を持つガイユール公爵家の令嬢ゾフィ。そしてサンテネリ王国の宿敵である帝国から、和平のためにグロワス十三世に嫁いだ、皇帝ゲルギュ五世の長女にして第一皇女のアナリース。いろいろあって四人の美女を、正妃・側妃に迎えて、傍から見ればとんだハーレム野郎である。しかし四人は“ぼく”に愛情や好意はあるものの、一方で家や国の思惑や立場も背負っている。甘いだけではない男女の関係も、本書の内容に相応しく、“ぼく”と四人の美女たちが、これからどうなるか気になってならない。あっ、もちろんサンテネリ王国の行方も興味津々だ。すでにネット版は物語が完結しているが、書籍版がどのような結末を迎えるか、楽しみでならない。
なお“ぼく”は、異世界のあれこれを、よく現実世界の出来事や人物に準える。それが社会人処世術マニュアルのようにも読める。社会人ならば、いろいろ頷くところの多い作品なのだ。