白人のための<翻訳>は必要ないーー大和田俊之に聞く、タナハシ・コーツが『なぜ書くのか』で気づいた確信
アメリカ合衆国に対し、奴隷制への賠償を求めることの正当性を訴えた『賠償訴求訴訟』(原題『The Case for Reparations』/2014年/邦訳は2020年の『僕の大統領は黒人だった』/原題『We Were Eight Years in Power』)。父親から息子への手紙を通し、黒人としてアメリカで生きることの困難を綴った『世界と僕のあいだに』(原題「Between the World and Me」/2015年)などで知られるタナハシ・コーツ。
アメリカの黒人コミュニティを代表する知識人の1人として知られるタナハシの新刊『なぜ書くのか——パレスチナ、セネガル、南部を歩く』(原題「The Message」/2024年)」がアメリカ全土で大きな話題を集めている。セネガル、サウス・カロライナ州、パレスチナを訪れ、そこに生きる人々の声を聞き、苛烈な差別の現状を直視しながら、「書くとは?」を自らに問い続ける本作には、今の世界に必要なメッセージが強く刻まれている。
リアルサウンド ブックでは、アメリカ文学、ポピュラー音楽研究の第一人者である大和田俊之(慶應義塾大学法学部教授)にインタビュー。タナハシ・コーツのキャリアと、彼の言葉がアメリカに与えたインパクトについて聞いた。
白人のためのトランスレーターにはならない
——大和田さんがタナハシ・コーツの存在を認識したきっかけから教えていただけますか?
大和田:デビュー作は『The Beautiful Struggle』(邦題『美しき闘争』)ですが、最初に注目を集めたのは主要な論壇誌『アトランティック』に掲載された『The Case for Reparations』(『賠償請求訴訟』)だと思います。
奴隷制を踏まえ、黒人がアメリカ合衆国に対して賠償を請求することの正当性を記した文章で、論壇でも大きな話題を集めました。ここでタナハシ・コーツは、様々な領域で構造的な差別が存在していることを明らかにしています。たとえば“レッドライニング”もそう。住宅地区のなかで黒人が住んでいると、その土地や家の価値が下がるので、融資リスクが高いとして(地図を)赤い線で囲っていたのですが、これも典型的なシステミック・レイシズムですよね。その結果、いくら黒人ががんばって家を買おうとしても、すぐに嫌がらせがはじまり、追い出されてしまうというわけです。その翌年に発表された『世界と僕のあいだに』(原題『Between the World and Me』/2015年)のインパクトもすごかったですね。ノーベル賞作家のトニ・モリスンが「ジェームズ・ボールドウィン亡き後の空白を埋める存在がようやく現れた」と評したこともあり、さらに大きな反響がありました。
——父から息子への手紙という形式で、黒人としてアメリカで生きることをリアルに書き切った作品ですね。
大和田:この本のなかでコーツは「黒人の肉体が破壊される、壊される」ことについて繰り返し書いてます。14歳の息子に対し、「自分たちの身体は常に暴力の対象になりうる」と語っているわけですが、ちょうどこの時期はBlack Lives Matter運動が広がっていた時期で、その重要なテーマの一つが“Police Brutality”、つまり警察による黒人に対する暴力だったんですね。それまで僕自身もリアルに理解できてなかったところがあるんですが、黒人コミュニティにとってアメリカの警察は決して身を守ってくれる存在ではない。アフリカ系アメリカ人の家庭において、子どもが1人で外に出られるようになったとき最初に教えるのは「警察官に呼び止められたら、こういうふうに返事をしなさい」ということで。ちょっとでも対応の仕方を間違えると、投獄されたり、暴力の対象になり、最悪の場合は殺されてしまう。スマホの普及によって、そういう状況が拡散されたことも、『世界と僕のあいだに』がリアルに響いた要因だったと思います。
——なるほど。
大和田:もう一つお話しておきたいのは、コーツが一貫して「白人のためのトランスレーターにはならない」と宣言していることです。先行する黒人のオピニオンリーダーは黒人コミュニティの問題を白人にわかるように書き、話していたが、自分はできる限り白人の読者を想定しないと。授業でコーツの文章を読むときにも、私は学生に対して「マイノリティの運動は、マジョリティの共感を得る必要があると思いますか?」と質問することがあります。そう聞くと「最終的にはマジョリティの理解を得ないと、社会に浸透しないのでは」という答えが返ってくることが多いのですが、タナハシはそうではない。自分たちの問題をマジョリティにわかりやすく説明することで、マイノリティーの問題の重要な何かが決定的に失われてしまうという態度を取り続けているのです。実際『世界と僕のあいだに』を白人が読むとすごく居心地が悪いだろうし、罪の意識を持たざるを得ないはず。それくらい白人全体に対する憎悪を隠していないですし、一切の気づかいがないんです。
トランプ大統領が誕生した背景
——『世界と僕のあいだに』が発表された際のリアクションはどうだったのでしょうか?
大和田:もちろん絶賛の書評が並び、その年の全米図書賞のノンフィクション部門を受賞しましたが、個人的に印象に残っているのはその数年後に起きたコーネル・ウェスト(アメリカを代表するアフリカ系アメリカ人哲学者、神学者、政治思想家。)との論争ですね。パレスチナ問題などにも積極的に発言してる人ですが、2017年に「タナハシ・コーツはネオリベ的である」と痛烈に批判したんです。
——どういうことでしょうか?
大和田:ウェストは「コーツはアメリカの社会問題のすべてを人種問題やレイシズムに帰着させている。そこには経済格差への批判もないし、アメリカの帝国主義的な振る舞いに対する批判もない。それに、これまでの黒人の抵抗の歴史を過小評価しているし、悲観的すぎる」と評したわけです。この批評は、トランプが大統領になったことにも関係していると思います。
トランプが大統領に就任したのは2017年ですが、その背景には“再配分か承認か”(※)という問題がありました。民主党は伝統的に“再配分”、つまり富裕層や大企業から税金を取り、経済的に恵まれない人たちに分配する政策を中心に据えてきましたが、徐々に“アイデンティティ・ポリティクス”つまり黒人や女性などマイノリティーの地位向上に特化する党に変化したことで、労働者階級の白人男性たちから反発が起きてしまった。「民主党から見捨てられた」と感じた白人男性たちがトランプを支持したというわけです。つまりウェストの批判は「すべての問題を黒人差別の問題に収斂させるコーツの論調は究極のアイデンティ・ポリティクス。結果的に再配分の問題が見えなくなり、税金を取られることを何よりも嫌がる富裕層や大企業を利する行為となっている。その意味でコーツはネオリベである」ということだったんです。実はウェストの批判には明らかにコーツの文章を誤読している箇所があるのですが、この批判そのものはそれなりに意義があるものでした。
※「再分配」は経済的な不平等を是正する運動を指し、「承認」はマイノリティが社会的な平等を求める運動を指す。
——黒人のオピニオン・リーダーたちの間でも様々な考え方がある、と。
大和田:そうですね。その後、代表的なアフリカ系アメリカ人知識人で歴史家のロビン・D・G・ケリーが間に入り、「キング牧師とマルコムX、ブッカー・T・ワシントンとW・E・B・デュボイスがそうであったように、黒人コミュニティのなかにも意見の相違はずっと存在していた」「タナハシは階級闘争や再配分を考えていないわけではない。それよりもアメリカの社会に深く根を下ろしている黒人差別の現状を、忖度することなく書いているのだ」とコーツを擁護しました。いずれにしてもコーツの著作をきっかけにして、アメリカの論壇が活性化したのは間違いないですね。