山田風太郎 × 忠臣蔵 × 更級日記!? 荒山徹の破天荒な時代伝奇小説『更級忍法帖』が面白い
奇想横溢の時代伝奇小説の書き手として知られる荒山徹は、2024年、光厳天皇の生涯を描いた初の長篇歴史小説『風と雅の帝』で、第三十回中山義秀文学賞を受賞した。実は私、中山義秀文学賞の選考委員のひとりであり、この作品を高く評価した。だから受賞には満足している。
しかし一方で、この受賞により歴史小説の世界に行くのは、あまり嬉しくないと思っていた。なぜなら作者の時代伝奇小説が、好きで好きで堪らないからだ。もっともそれは杞憂であった。受賞第一作となる本書は、堂々たる時代伝奇小説であったのだから。
美濃高須藩の江戸奥右筆・八枝崎頼母の娘の美緒は、昔から物語を熱愛していた。幕府から高須藩が命じられた大坂城の石垣普請に父親も駆り出されたことで、美緒は二歳で離れた故郷に母親と戻る。友もなく、ひとり歩きばかりしていた美緒だが、ある日・毛虫や芋虫と戯れる女性と遭遇した。つい、『堤中納言物語』に収録されている「虫めずる姫君」みたいといってしまったところ相手が反応。彼女も「虫めずる姫君」を知っていたのだ。これが縁になり、家老の娘の植垣沙羅に呼ばれた美緒は、馬廻役の娘の蟹江孝、納戸役の娘の久良々品と引き合わされる。沙羅・孝・品の三人も物語が好きで、「更級乙女組」を結成している。さらに藩主の徳永昌重には二人の娘がおり、妹姫の由莉も物語好きだ。しかも、高須藩に文芸の華を咲き誇らせる「高須文藝立藩計劃」を考えている。その中核となるのが、「更級乙女組」の予定なのだ。なお姉姫の瑠衣は美緒が出会った、毛虫・芋虫と戯れていた女性であった。特に物語好きではないが、由莉の計画を応援している。
ちなみに「更級乙女組」の〝更級〟は、平安中期に書かれたという菅原孝標女の回想録『更級日記』から採られている。物語を渇仰してやまない少女の気持ちが記されており、物語ではないものの美緒たちのお気に入りだ。この『更級日記』が本書の中で重要な意味を持っているが、このことについては後で触れよう。
物語好きの仲間を得た美緒だが、その幸せはあっけなく崩壊する。大坂城の石垣普請は、共同で担当していた越中魚津藩の怠慢により、遅れに遅れていた。しかし幕府は、高津藩だけに責任を押しつけ改易とする。魚津藩は雄藩である加賀藩の支藩であり、処罰はできない。さらに藩主・前田利堅の年の離れた姉の豪姫の奔走もあり、幕府の忖度があったのである。いきなり混乱に陥った高津藩は、藩が二派に分かれて争い、藩士たちが次々に死んでいく。犯罪行為も横行しており、美緒は父母を失い、自身も悲劇に見舞われた。二人の姫に仕える女忍びの青鹿に助けられた彼女は、尼寺の景福寺の世話になる。そこには、やはり家族を失った沙羅・孝・品や、剣術師範役の娘で新陰流の女剣士の門倉冴など、多数の女性たちがいた。幕府の仕置きに納得のいかない瑠衣と由莉は、前田利堅が仇だと断言。実は寺の住職の佳月尼は朝鮮人であり、百済妖術の継承者である。桂月尼が百済妖術を美緒たちに伝授し、それにより利堅を討つというのだ。かくして四十七人の女性たちは、一年間の修行を開始する。
一方、高津藩の動きを探るため豪姫は、富田流の天才剣士・富田一放を派遣。一放から女性たちの目的を知らされると、太秦寺の侍従の蘭玉尼こと、キリシタンのフランチェスカ蛟蘭を頼る。フランチェスカは朝鮮人の鄭蛟蘭であり、新羅妖術の使い手である。新羅妖術と百済妖術は長年にわたり敵対関係にあり、フランチェスカも乗り気だ。一放と組んで、利堅を狙う女性たちと、血みどろの妖術合戦を繰り広げるのであった。
内容を説明すると長くなるので省くが、物語の大きな枠組みは、剣豪の柳生十兵衛が七人の女性の仇討ちを手助けする、山田風太郎の『柳生忍法帖』を強く意識している。興味のある人は、読み比べてみるといいだろう。
それだけでなく、妖術を学ぶ高津藩の女性たちが四十七人というところから、「忠臣蔵」を意識していることも分かる。〝復讐四十七士〟ならぬ〝復讐四十七女〟というべきか。もっとも修行により四十七女は次々と死亡。妖術を身に着けた少数精鋭で仇に挑むことになる。
そしてクライマックス。ある有名な時代映画の展開を意識しながら、美緒たちの百済妖術が次々と炸裂。なかには山田風太郎の『忍法魔界天生転』のオマージュというべき、現実ではありえない剣豪同士の対決が実現したりする。作者、ノリノリだなあ。でも、これだよ。こういう破天荒なエンターテインメントに徹した、荒山作品が読みたかったのだ。
さらに〝物語〟の意味について深く考察されている。厳しい現実に直面したとき、物語にどのような意味があるのか。物語を捨てる者もいれば、捨てきれぬ者もいる。物語を準えたような妖術があれば、新たに開発された〝物語妖術〟もある。現実と物語が入り乱れた妖術の中から、作者の物語に対する考えと愛情が浮かび上がってくる。ここも本書の読みどころなのだ。
また、『更級日記』の内容の解釈も興味深い。孝標女は、物語が好きなことを表明しているのか、それともそんな少女時代の自分を否定しているか。美緒たちによる二つの解釈を経て、作者はラストに自分が信じる解釈を表明する。それは物語と、物語を愛することに対する力強い肯定なのだ。だから本書は、物語を好きなすべての人に薦めたいのである。
なお作者はパロディやちょっとしたお遊びが大好きだ。本書にも人名を始め、いろいろなネタが投入されているので、よかったら探してみてほしい。ちなみに私がもっとも笑ったのは、ある人物のセリフの中にあった〝自滅の刃〟である。こういうことを、ぬけぬけと書いてしまうのも、荒山徹の魅力になっているのだ。