柚木麻子の小説『BUTTER』はなぜイギリスで評価されたのか? 海外でも共通する、いびつな男女間の空気

 柚木麻子の小説『BUTTER』は、2007年から2009年にかけて発生した首都圏連続不審死事件を題材にしたものである。……といっても、ピンとくる人は少ないかもしれないが、殺人罪で起訴された木嶋佳苗という女性の名前には聞き覚えがあるだろう。『BUTTER』の参考文献に並ぶ『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴日記』(北原みのり/朝日新聞出版)と『毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ』(上野千鶴子、信田さよ子、北原みのり/河出書房新社)は、刊行当時、私も読んだ。というか、木嶋佳苗のことが気になりすぎて、親がいやがるほどのめりこんで資料を漁っていたし、彼女の話ばかりしていた。

 いったい、なにがそんなに気になったのかといえば、『BUTTER』の表現を借りれば〈大勢の男達を手玉にとり、法廷でも女王様然としていた梶井(『BUTTER』で描かれる犯人の名)が、決して若くも美しくもなかったためだ。写真で見る限り、体重はあきらかに七十キロを超えているだろう〉。もちろん『BUTTER』は小説で、描かれる内容はフィクションなので、登場する梶井真奈子なる人物は、木嶋佳苗と同一ではない。でも、「決してモテる風貌ではないはずの女性がなぜ、不特定多数の男たちに愛され、貢がれ、自信満々に微笑むことができるのか」という疑念を軸に描かれているという点で、現実と小説は重なっている。

 事件が起きた当時、私のまわりの男性たちは「自分は絶対に引っ掛からない」「他に相手してくれる女のいない、さみしい男たちが付け込まれただけだ」と嘲笑するのを聞きながら(そういうあなたたちがたぶん、真っ先に騙されるのではないか)と内心で思っていたことを、覚えている。女に若さや美しさを求め、自分にふさわしい賢さをそなえていてほしいと願う一方で、透けて見える「決して自分を超えてほしくはない」「うるさいことを言わずに従順でいてほしい」という身勝手さに、苦しめられたことのある女性は決して少なくないはずだ。

〈男の人をケアし、支え、温めることが神が女に与えた使命であり、それをまっとうすることで女はみんな美しくなれるのよ〉〈最近ギスギスした雰囲気の女が増えているのは、男の人への愛を惜しんでいるせいで、かえって満たされないから〉〈女は男の力には決して敵わないってことをよく理解しなきゃ〉

 留置場のなかからまるで愛の伝道師かのようにのたまう梶井真奈子の言葉を聞いて、主人公で記者の町田里佳は嫌悪感や戸惑いを抱きながらも、根底から価値観をぐらぐらと揺らされていく。実際、梶井の独占取材をとるために、梶井の言うとおりに料理をして、美食をむさぼり、ふっくらしていく彼女に、最初は嫌悪を示していた恋人も、やがては里佳が醸し出し始めた「女らしさ」に惹かれ、甘えるようにもなっていく。

 男は、女に何を求めているのか。そして、男の真の欲望に触れた女は、いったいどんな感情を抱くのか。その描写は、初版が刊行されて10年近くたった今でも生々しく、リアリティに溢れている。多様性、ルッキズム、ジェンダー平等。さまざまな言葉が普及した今でも根は変わらない、孤独を満たしたい男性の欲望と女性の怒り、そして絶望がまざまざと浮かびあがってくるところが、イギリスではフェミニズム小説として高く評価され(2025年5月13日、英国の文学賞「ブリティッシュ・ブック・アワード」のデビュー・フィクション部門受賞)、おそらくは男女不均衡の根強い日本社会への興味も煽ったのだろうと思われるが、もうひとつ、本作で出色なのは、食の描写である。

関連記事