『名探偵コナン』に始まりエラリー・クイーンへ 『無気力探偵』でデビューから10年、楠谷佑が自身のミステリ原体験を語る
エラリー・クイーン『Xの悲劇』との出会いがミステリ作家としての原点
——いろいろなミステリ作家のパターンがあると思います。トリックがまずできる人、ロジックを考える人、作り方はそれぞれ違うでしょうけど、楠谷さんのように「これがこうだから、この人が犯人しかありえない」という犯人指摘のロジックから入るのは、執筆初心者には難しいと思うんですよね。それができたというのは、ロジックを考えるのが最初からお好きだったからなのかな、と思いました。
楠谷:読者としても、これは優れたミステリだな、と感じたときにまず注目するのがその部分です。書き手としても、そこが達成できてないときは自分でも不満を感じますし。
——差し支えなければ、お好きな作品を挙げていただけますか。
楠谷:理想としてはエラリー・クイーン『Xの悲劇』ですね。第一の事件が起きたときに探偵のドルリー・レーンが話を聞いて、「もう犯人はわかってる」と言う。解決編のところでレーンがなぜ正解に辿り着いたかが明かされると、「いや、そうじゃん。他にないよ」って膝を打つんですよ。僕は『Xの悲劇』を小学6年生のころに読んで、原体験になっているんです。こういうミステリが一番かっこいい、とういう刷り込みを受けました。
——そこでミステリの魅力を感じるようになったんですね。
楠谷:ミステリを好きになるという段階はもう少し前にありまして、小学校に上がる前ぐらいから『名探偵コナン』が好きでした。ミステリ漫画に入って、そこから新本格ミステリに行くんです。そうすると、「なんかクイーンという作家をみんな好きだって言ってるぞ」とわかる(笑)。で、手に取って見たら「これはすごい」っていう感じでした。
——『X』に始まる悲劇四部作以外ではどんなクイーン作品が好きでしたか。
楠谷:『オランダ靴の謎』とか評価の高い作品が順当に好きなんですけれど、僕は『アメリカ銃の謎』が大好きなんです。クイーンにはロジックの魅力がありますけど、アメリカの生活文化が活き活きと描かれているところもかっこいいんですよね。僕は、要素を複雑に持っていく作品よりも、洗練された見せ方のものにミステリのかっこよさを感じます。初期クイーンは悲劇四部作も国名シリーズもそうですけど、洗練されたかっこよさ、おしゃれさみたいなのを感じますね。
執筆に明け暮れた高校生活
——作品の話題に戻ると、「限りなく無意味に近い誘拐」とか各章のタイトルに一つの傾向があって、同じ付け方をされているように感じます。これは元から同じですか。
楠谷:はい。若干変わったものもありますが、基本はweb版のころのものです。当時は書き溜めてからwebに掲載するのではなくて連載の形だったので、先に章のタイトルをつけてから本編を書いていました。
——結構度胸のいることですね。この作品をどのくらいのペースで連載していたのですか。
楠谷:当時は速くて、高校2年生の10ヶ月間に、大体35万文字ぐらい書きました。
——執筆に偏った高校生活ですね。
楠谷:今になって、そのころにもっと読んでおけばよかったと思っています。当時は読むほうはおろそかになっても、書くことが楽しかったんです。
——17歳の高校生にはわからないことがいっぱいありますよね。世間的な常識とか、大人の感情とか。そういうのにぶつかったときはどうされていたんですか。
楠谷:逆にそこまでのことを意識しなかったからこそ書けていた面があります。わからないことはネットで調べたりとかして、もうがむしゃらに書いてました。書けないという感覚が当時はなかったですね。無謀だからすごい勢いで書けるんです。
——第四章の「どことなく無謀なハウダニット」は仕掛けが面白い作品です。脱出ゲームを使っているところに特色があって、独自性のあるトリックが使われています。先ほどロジック重視というお話がありましたが、楠谷さんはトリックにはどの程度の比重を置かれていますか。
楠谷:このシリーズを書いていたころにはトリックも常に考えているような感じで、ハウダニットの話が1巻と2巻にそれぞれ入っています。ただ、書き続ける中で自分の適性はこっちにないかもしれないと思うようになって、最近では派手な機械トリックを構想するようなことは他のもっと得意な作家さんにお任せしたほうがいいのかなと(笑)。ただトリックは好きですから、読むのも考えるのも楽しいですね。
密室トリックのようなものは、古典を読めば読むほど、 新しいパターンを思いつくのが難しくなってくると感じます。最近はメカニズム的な発明というよりはトリックがもたらす効果、犯人がそのトリックを用いた心理的な必然性に何か面白い逆説的な発想とかがあったらいいな、というようなことを考える場合が多いですね。2年前の作品ですが『案山子の村の殺人』という長編も雪の村で事件が起きるので、「これはもう足跡なき殺人が起こらないと興醒めだろう」と(笑)。頑張って考えたのですが、それもトリックが使われていることが判明してからの事件の構図のひっくり返しに比重を置く形で書きました。もちろん優れたトリックがあることに越したことはないんですけれども、事件全体の中でそれをどう有効活用するかが面白いんじゃないかなと思うようになっていますね。
——第五章は「智鶴のコールドケース」、探偵自身の過去に関わる物語です。これはweb掲載では何番目だったんですか。
楠谷:9話目ぐらいです。2巻に入るものはすべてこれ以降に書いたものなので、第五章の前にいくつかボツになった話があります。
——ここで智鶴自身の事件をもってきたのはなぜでしょうか。
楠谷:原体験でもあります漫画的な感覚が僕の中にあるのかもしれないですね。連載時に、次の話への引きになるような何かがほしいなと思ったんです。牽引力として謎の要素をばらまいておき、後でそれを回収するということをやっていたので。この回で智鶴の問題は解決するわけですが、あとは普通の一話完結でいいや、と考えていました。優先したのは一話完結で謎解きをすることだったので、ストーリーものとしてキャラクターのドラマを作るのは副次的でした。
——そこは読者の中に驚く人も出そうなくらい、小説の中心に見える書かれ方ですよね。今漫画のお話が出たんですが、楠谷さんはどのあたりの作品がストライクゾーンなんですか。
楠谷:ミステリ漫画では『金田一少年の事件簿』や同じコンビ(天樹征丸・さとうふみや※)が書いている『探偵学園Q』も好きでした。僕自身はキャラクターよりはミステリを書きたい気持ちが先行して創作に取り組んだのですが、ライト文芸で拾っていただきましたし、読んでくださる方もキャラクターを好きになってくださることが多いので、やはりキャラクターが良くなければ駄目だという感覚は自分の中にあると思います。
※『金田一少年の事件簿』連載開始時には原作者として金成陽三郎が名を連ねていた。
——それはエンターテイメントを書く上での大前提なんですね。どうやればキャラクターを魅力的に見せられるか、という点は作者として最も気配りされる要素だと思います。どういう点をキャラクター作りでは重視されますか。
楠谷:自分が好きなタイプのキャラクターを書いてしまうことが多いですね。無理矢理、これはウケるキャラクターだから、というのを出すと自分が退屈してしまって書けなくなるんです。だからこれまで触れてきたもの、観てきたものの総体として、自分が好ましく思う要素をキャラクターとして表現しています。