「漫画やアニメはもちろん、フィギュアもいずれ日本美術史の中で評価される」日本美術史における模倣と熟成の「波」

山本陽子『カラー新書 入門 日本美術史 』(ちくま新書)

 日本美術史の流れには、外来文化をひたすら取りいれ真似する時代と、それを熟成させる時代とが繰り返す波があるーー。様々な大学で日本美術史の講義を行ってきた山本陽子氏による『カラー新書 入門 日本美術史 』(ちくま新書)は、誰もが目にしたことがある日本美術の名作を、大きな歴史の流れとともに解説した一冊だ。多数のカラー図版と親しみやすい語り口が評判を呼び、昨年末の発売以降、重版を重ねている。

 名作と呼ばれる美術品が、どのような歴史の流れの中で評価を固めてきたのかを知ると、現在多くの日本人が親しんでいる漫画やアニメ、フィギュアといった作品もまた、日本美術史の中に組み込まれていく可能性が高いと山本氏は言う。その真意について、山本氏に話を聞いた。

各時代の美術品の「つながり」を意識して

――本書『入門 日本美術史』を執筆するに至った経緯を教えてください。

山本陽子(以下、山本):私の専門は「絵巻」、それも神社とかお寺の由来を描いた「縁起絵巻」というすごく渋い領域なのですが、大学では自分の専門領域ではなく、日本美術史の基礎講座を受け持つことが多かったんです。美術とは直接関係のない経済系の学生とか情報系の学生、あるいは美術は美術でも、実制作のほうに興味がある学生を対象としたような講座でした。

――いわゆる「一般教養」系の科目で、日本美術史を教えることが多かった?

山本:そうです。だから、放っておいたら学生たちが絶対に寝てしまう(笑)。そういった学生たちの興味を持続させるためにはどうしたらいいかを模索しながら、いろいろな大学で日本美術史の講義を長らくやってきまして、それがこの本のベースになっています。この本は、0章も含めて全部で16章立てになっていて、授業にすると1章1時間くらいの内容です。

――授業で培ったノウハウのどのようなところが本書に反映されているのでしょう?

山本:まずは、いきなり専門用語を使わないこと。専門用語を羅列するのではなく、美術史の「流れ」をわかりやすく解説することを意識しました。また、できるだけ多くの図版を使って、その作品のイメージをつかんでもらうことにも力を入れています。この本に載っている図版のほとんどは、みなさんが中学や高校での教科書で見たことのあるものばかりだと思います。だけど、それがどういう時代のどういう場所でどんな人たちに見られたかについては、あまりピンとこない方が多いはず。

――教科書では、各時代の最後のほうに、その時代の「文化・芸術」みたいな形でまとめられていることが多いですよね。

山本:そうなんです。私もついこないだまでは大学の入試問題を作っていたので、高校の歴史教科書には散々目を通してきたのですが、美術に関してはおっしゃるように「この時代の美術で名作とされているものはこれです」みたいな形で、図版と共にただ並べられている。そのような形だと、それぞれの時代の「つながり」が全然見えてこない。そこがいちばん面白いところなので、この本では「つながり」を意識した構成にしています。

模倣と熟成の「波」

――冒頭の「はじめに」で書かれている「日本の美術史の流れには、大きな波がある。外来文化をひたすら取り入れて素直に模倣する時代と、それまで取り入れて来たものを自分たちらしく熟成する時代が、交互になっているからだ」という文章と、巻末に載っている年表「日本美術の波」が、ものすごくわかりやすかったです。この見立ては、日本美術史において一般的に認識されていることですか?

山本:日本美術史に模倣と熟成の「波」があることは、上野憲示先生の日本美術の本などにも書かれていることなので、一般的に言われていることだと思います。ただ、私がこの年表を作ったのには必然性がありました。というのも、日本美術史を教える場合、最初は中国から仏像が入ってきて、それを真似して日本でも作るようになり、次に密教が入ってきて、インドのものを模倣するようになる――という話の流れになってしまうんです。そうすると、日本のオリジナルな美術を期待していた学生は「日本の仏像は外国の真似ばかりじゃないか」と、一気に興味を失ってしまうことが多い。でも、その段階を過ぎると、それまで溜め込んできたものを日本ならではのオリジナルな形で作るようになるので、その展望を先に示したかったんです。

――この年表で言うと、9世紀の終わり頃、遣唐使が廃止されたことによって「模倣」から「熟成」のターンに入る。そういった全体の大きな「流れ」を、この年表であらかじめ示しておくわけですね。

山本:そうです。だから、この本は必ずしも最初の章から順番通りに読む必要はありません。仏像よりも、まずは浮世絵について知りたいという人は「12 浮世絵の始まり」「13 北斎と広重」あたりから読み出して、そのあとに浮世絵の前はどんなものが流行っていたんだろうと、その前の「11 琳派」や「10 狩野派その後」に戻って読んでもらってもいい。全体としての大きな「流れ」はあるのですが、その年表があるからこそ、どこから読んでも理解できる構成になっています。加えて、それぞれの章の大筋から外れたものは、コラムという形で各章に何個か入れてあるので、そこで気になったものから読んでもらってもいい。『入門 日本美術史』と銘打っていますが、ある程度、日本美術史について詳しい方でも楽しめるように、コラムでは一般的にあまり知られていないことや、他の入門書には書いていないようなことを載せています。日本美術の展覧会に行く前に、それと関係した章だけざっと目を通すという使い方もできます。

――先日、『相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史』展に行ったのですが、その前に本書の「8 水墨画」の章を読み込んだところ、とても参考になりました。

山本:それは良い読み方ですね。最近は、水墨画なら水墨画、狩野派なら狩野派といった形の展覧会が多いですよね。展覧会に行った人が、「水墨画と狩野派にはどういう繋がりがあったんだろう」と思ったり、「どういう流れの中で、新しい表現が生まれていったんだろう」と思ったときに、この本が役立てば嬉しいです。

漫画、アニメ、ドラマが興味のきっかけに

――昨今は日本美術の展覧会が、非常ににぎわっているように感じますが、一般の学生たちの関心が高まっているようなところもあるのでしょうか? それとも西洋美術のほうが人気なのでしょうか?

山本:西洋美術の方が学生たちの関心は高いかもしれませんが、「モネは日本の美術に影響を受けているんだよ」といったことを教えると、すごく興味を持ってくれることも少なくありません。もともとの興味のあるなしではなく、自分にとって興味のあるものと日本美術とどうつなげていくかが大事なのかもしれません。モネが好きでジャポニズムの潮流を知っているなら、その根本にある浮世絵のことも知っておいたほうが面白いんじゃないか、といった関心を抱いてもらえたら嬉しいです。

 実際、いろいろな雑誌とかアニメに日本美術の話が出てくると、急に興味を持つ方が増えるという流れもあります。たとえば以前、山田芳裕さんの『へうげもの』という古田織部を主人公とした漫画に、荒木村重の息子が出てきましたよね?

――絵師の岩佐又兵衛ですか?

山本:そうそう。彼が漫画に登場したときは、学生たちも日本美術に俄然興味を持って話を聞くようになりました。また、杉浦日向子さんの『百日紅』の主人公は、葛飾北斎の娘であり、のちに葛飾応為の画号で作品を残している人物ということもあり、アニメ映画になったときは関心が高まっていた印象です。漫画やアニメが入り口になって、日本美術に興味を持つようになるのもいいことだと思います。

――最近は、実在の絵師を描いた歴史小説も多いですよね。

山本:小説は多いですね。原田マハさんは西洋美術を題材とした作品を書いていますが、その日本バージョンのような形で、沢田瞳子さんや朝井まかてさんなどが江戸時代の絵師の話を書いています。そういうところから日本美術に興味を持つ方が増えるのもいいですね。お話に興味を持つと、実際に作品も見たくなりますから。

――最近ではNHKの大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、浮世絵にも注目が集まっています。本書を読んでいて改めて思ったのですが、浮世絵のあたりから、いわゆるパトロンや権力者の意向ではなく、大衆のほうを向いた美術作品が生まれていった印象です。それは世界的に見ても、大きな転機だったのかなと思いました。

山本:そうですね。浮世絵は今で言うと、漫画に近いものだったと思います。権力者ではなく一般の人たちが求めるものを、板元や絵師があれやこれやと考えながら作っていった。そのうち役者絵は、歌舞伎の興行に合わせて出されていたので、今で言う推しグッズみたいな感じ。だからこそ、明治の初めぐらいまで浮世絵は、いわゆる「美術作品」としては認められていなかったんです。

――そうなんですね。

山本:けれども、明治になってからユリウス・クルトというドイツ人が、喜多川歌麿や東洲斎写楽の絵を気に入って、彼らについて研究したり、イギリスの建築家コンドルが河鍋暁斎に弟子入りしたりするようになった。そこで初めて日本人が、浮世絵の美術的な価値に気づいたんです。その頃には、浮世絵の良いものはみんな海外に流出してしまっていたわけですが。だから今、状態の良い浮世絵を見ようとすると、海外からの逆輸入みたいな形になってしまうんです。

――先ほど話に出てきたフランスにおけるジャポニスムもそうですが、そういった「海外からの評価」がなかったら、浮世絵は今のような形では日本美術史の中に残っていなかったかもしれませんね。

山本:残らなかったと思います。日本の美術史の中ではそういうことは結構あって、だいぶ時代はさかのぼりますけど、私の専門である絵巻もそうだったんです。絵巻は女性たちや子どもたちからの人気が高くて、平安時代から結構な数が描かれていたはずなんですけど、全然残っていません。平安時代の終わり頃、後白河上皇の前後ぐらいからのものしか残ってない。なぜその頃から残っているかというと、後白河上皇が大の絵巻好きだったからなんです。絵巻が好きで、自分で作らせたり、蒐集したり。そういう人が現れて保護することによって、急に価値が上がったり、みんなからありがたがられるようになったりする。今で言うところの「インフルエンサー」みたいな人は、昔からいたんですよね(笑)。

――なるほど。そのあたりが、美術史の面白いところですよね。時の権力者なのか、権威ある目利きなのか、外国人なのか、いろいろな人の嗜好によって、何が流行るかわからないところがある。その積み重ねが美術史であるというか。

山本:それもまた、行きつ戻りつなのかもしれないです。昔からあるものがふとしたきっかけで再評価されたり、昔はぜんぜん評価されていなかったものが急に評価されたりすることは今もあります。本書の年表「日本美術史の波」では、「武家政権の誕生」や「海禁政策」など、「模倣」と「熟成」が入れ替わるタイミングを大きい波で表しましたが、そのあいだには小波のようなものもあるんです。たとえば、今回の本の表紙に使った尾形光琳の「風神雷神図」は、光琳が100年前の俵屋宗達の絵が大好きだったために、宗達の「風神雷神図」をトレースして描いたものなんです。その後、また100年ぐらい経って、今度は江戸で光琳の絵が大好きな酒井抱一が出てきて、光琳のカタログレゾネみたいな本を出したり、自分でも光琳の真似をして「風神雷神図」を描きました。必ずしもブームが持続していたわけではなく、飛び石みたいに100年ごとにブームが来るようなことも日本の美術史の中では結構あります。

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