なぜユダヤ人は陰謀論と結びつけられるのか? 歴史学者・鶴見太郎に聞く、ユダヤ人の「通史」に目を向ける意義

ユダヤ教とイスラム教には、日常生活を律する「法」がある

――とはいえ、古代から現代に至るまで3000年以上にもわたるユダヤ人の「通史」を書くとなると、いろいろと苦労されたところもあったのでは?

鶴見:たしかに苦労はしましたが、そのスケール感のわりに、そこまで苦労しなくて済んだ部分もありました。というのも、やはりユダヤ人には学問に長けた人たちが多く、すでにユダヤ人自身によって非常に高い水準の歴史研究がされているんです。概説書の類にしても非常に充実した、なおかつ信頼のおけるものがそろっていて、「この部分を調べたい」と思ったとき、それに応えてくれるような研究の蓄積が膨大にある。基本を外すことなく書くことできるという意味では、書きやすい本ではありました。ただ、ユダヤ史に限らないことですが、古代にはわからない部分も多く、書き出しの部分は苦労しました。

――どこまでが史実で、どこからが創作なのか、判別しにくいところがある?

鶴見:そうなんです。とはいえ「史実かどうかは不明である」みたいなことを書き続けても読者は面白くないでしょうし、その一方で、ユダヤ人の場合は「聖書」――いわゆる「旧約聖書」に沿った記述が、史実として受け止められているようなところがあるんです。その按配をどうするかというのは、少し苦労したところではありました。結果的に「史実として確認されていない」と書いたところもあるのですが、それが「物語」としてユダヤ人の歴史の中で生きていた――という形で書いていけばいいかのかなと。

――なかなか難しいところですね。人間は必ずしも「事実」のみに従って、動いているわけではないので。

鶴見:中公新書に長谷川修一さんが書かれた『聖書考古学――遺跡が語る史実』という本があって、その本では聖書の考古学的な裏付けが丹念にされているんですよね。そういった業績があるおかげで、本書の書き出しがうまくいったところはあります。ただ、日本語圏じゃなかった場合、本書はここまで整理できなかったかもしれません。やはりユダヤ人とかキリスト教圏では、聖書の記述はあまり無碍にできないところがあるんですよね。

 もちろん、日本の研究者もキリスト教徒だったりする場合は少なくないのですが、それでもやはりキリスト教圏内の人たちに比べると、割り切って淡々と事実のみを書く傾向がある。本書の参考文献で挙げさせていただいた、山我哲雄さんの聖書学に関する一連の著作にしても、史実との兼ね合いはかなりしっかりと書かれています。

――扱っている時代は広いですが、それぞれの時代や領域に、すぐれた先行研究があるわけですね。

鶴見:もうひとつ、日本語圏の著者だからこそのメリットもありました。「ユダヤ人の歴史」といった類の本は、これまでもいくつか出ているのですが基本的に全部翻訳なんです。そして翻訳本は、そもそもキリスト教についてほとんど知らない日本人を読者として想定していないので、どうしてもわかりにくい。本書の場合は、聖書がそもそもどんなものなのかあまり知らないという人たちでも読めるよう、カスタマイズして書いているので、理解しやすいと思います。

――実際、ユダヤ教についてはもちろん、ユダヤ人の考え方や「ラビ」を中心とした共同体の在り方など、ユダヤ人に関する基本的な情報がとてもわかりやすく書かれていると思いました。その意味で本書は、ユダヤ人の歴史についての本であると同時に、ユダヤ教をはじめとする宗教についての本であり、近代以降はイデオロギーについての本でもあるように思いました。そういった幅広い領域を横断して書くことは、かなり意識されていたのでしょうか?

鶴見:ユダヤ人の歴史を書けば、自ずと幅広い領域を横断することになるとは想定していました。特にユダヤ教については、本書を読めばある程度はわかるようにしたいという狙いがありました。というのも、日本人にとっての宗教のイメージは、キリスト教か仏教、ないしは神道というのが大半だと思うのですが、ユダヤ教とイスラム教はそのいずれとも異なる特徴を持っています。本書にも記しているように、ユダヤ教とイスラム教には日常生活を律する「法」というものが中心にあって、生活の中でそれを実践することが大事なんです。「実践はしないけど、心では信じています」というのは許されない。キリスト教や仏教とは大きく異なる信仰のあり方なので、その側面はしっかり示したいと思いました。ユダヤ教が生活と密接に関わっている宗教であるということは、庶民の生活にもその影響は大きく、なおかつ歴史にも深く根ざしてくる。

――なるほど。

鶴見:ただ、そこで注意しなくてはならないのは、宗教が全部を規定しているわけではなく、その宗教自体が歴史の動きの中で変化していることなんです。変化によってユダヤ人の行動が変わっていったところもあり、その相互作用の中で歴史が動いている。宗教だけを見てもユダヤ人のことはわからないし、その行動だけを見てもユダヤ人のことはわからない。両方が相互作用しながら変化していく、そのダイナミズムこそが本書で描きたかった歴史観です。

 近代のイデオロギーに関しても同じような相互作用があります。資本主義が発展する中で労働者の労苦があり、そこから社会主義が生まれて、ユダヤ人も自分たちの問題として社会主義を捉える局面がありましたが、社会主義が確立された後は今度はそれに縛られて、さらに歴史が展開していく。近代以降は宗教以外にもさまざまなところで主体と構造の変化が見られるので、そこも意識して描きました。

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