登場人物の「正体」をめぐる問いの連鎖ーー原作小説から読み解く、映画『正体』の狙い
染井為人の同名小説を原作とする映画『正体』(藤井道人監督)が、公開された。一家三人を惨殺したとして死刑判決を受けた少年・鏑木慶一(横浜流星)が、脱走した。彼は様々な仕事につきながら潜伏生活を続ける。周囲の人間や警察に鏑木だと気づかれるたびに何度も逃げ延び、居場所を転々とするが、やがて追いつめられていく。供述段階では罪を認めたものの、裁判で犯行を否定した彼は、凶悪犯なのか無実なのか。行く先々で触れあった人々に優しく接する一方、自身を証明するものを提示せず素性を明かそうとしなかった男は、本当はどんな人物なのか。鏑木の正体の追及が物語の焦点となる点は、小説も映画も同じだ。
ただ、映画では、文庫版で600頁を超える長編である原作よりも潜伏先の数を減らし、人間関係を整理すると同時に、小説では後景に退いていた捜査側の動きを随時挿入し、逃亡犯と警察の対決図式を強めている。また、主人公が迎える結末も、映画と小説では大きく違う。とはいえ、映画の結末は、小説でもありえたかもしれない結末であり、その意味では両者はパラレル・ワールドのような関係だ。
ここではまず、小説について語りたい。鏑木は、東京オリンピック施設の工事現場、メイク、ファッション、ダイエットなどのライフニュースを配信するメディア会社、スキー場の旅館、認知症の高齢者などが居住するグループホームといった職場を渡り歩き、新興宗教の説教会にも訪れる。服装や髪型、名前などが現れる場所ごとに異なり、顔立ちも変っていく。少年と青年の狭間のような時期を生きる彼は年齢を偽りつつ、場所ごとに力仕事、在宅ライター、老人介護など様々な仕事内容を十分にこなす。体力も知性もある人物なのである。彼は、なにか目的があって動いているらしい。
鏑木は(各職場で名前を変えるがここでは便宜的にそう呼ぶ)、周囲の人々と積極的にかかわろうとはせず、自分について語りたがらない。だが、親しくなった人には気づかいをみせ、時には仕事先での不正義に抗う態度も示す。このため、鏑木と親しくした人は、彼が逃亡犯だとわかると、みな信じられない思いがする。
二歳の子を含む一家三人の命を奪ったとされる彼は、残忍な殺人鬼のように報道されているのだし、インターネットではそのイメージがいっそう膨らんでいる。逃亡が長引くにつれて鏑木にかけられた懸賞金は増え、世間の注目が続くなかで、いつまでも捕まらない彼を英雄視する人も現れてくる。実際に彼と間近で接した人々は、メディア上の虚像と本人とのギャップを感じざるをえない。複数の潜伏先でそうした描写が重ねられるにつれ、主人公の正体を知りたいという読者の興味も高まっていく。