「あんかけ焼きそば」はいつ、どこで生まれ、広まったのか? 焼きそば研究家による驚異の徹底調査

 あの素晴らしい衝撃をもう一度。『あんかけ焼きそばの謎』を手にして、まずそう思った。おっと、これだけでは何のことだか分からない人もいるだろうから、もう少し詳しく説明しよう。

 2023年7月に刊行された、塩崎省吾の『ソース焼きそばの謎』は、驚くべき一冊だった。ちなみに著者は、焼きそば研究家。ブログ「焼きそば名店探訪録」の管理人で、国内外の1000軒以上の店で、焼きそばを始めとする「焼いた麺料理」を食べ歩いている。そんな著者は、焼きそばに関する、さまざまな疑問を覚えるようになった。最大の疑問は、ソース焼きそばはいつ頃、どこで、どのようにして生まれたかというものである。『ソース焼きそばの謎』は、その疑問に挑んでいるのだ。

 この本を読むまで知らなかったが、ソース焼きそばは「戦後誕生説」が定説になっていたそうだ。しかし著者は、各種の資料に当たり、「戦後誕生説」の根拠があやふやであることを指摘。さらに調査を進め、戦前からソース焼きそばがあったことを証明していくのだ。その調査方法は、まさに民俗学。さまざまな店に足を運び、実際の料理を確認し、さらには店の人から話を聞く。民俗学のフィールドワークだ。

 一方で、書籍や新聞・雑誌の記事を博捜する。ネットのサイトもチェックする。とにかく著者の調査は徹底しており、どれだけの時間を費やしたのか想像もつかない。私も文献調査の真似事をすることがあるので分かるが、どうすればここまで出来るのかと呆れるほどの、驚異的な調査能力が発揮されているのである。

 その調査能力は、『あんかけ焼きそばの謎』でも、遺憾なく発揮されている。今回の著者の疑問は、あんかけ焼きそばの発祥と伝播だ。説明不要と思うが一応書いておくと、あんかけ焼そばとは、カリッと焼いた中華麺や揚げ麺に、さまざまな具材の入った熱々の餡をかけた料理である。ほとんどの人は何度か食べたことがあるだろう。その、あんかけ焼きそばは、どこで、いかにして生まれ、広まっていったのであろうか。

 プロローグは、明治2年(1869年)の横浜港で、美濃国大垣藩の藩老・小原鉄心と、清国人の李遂川が酒を酌み交わしているとこから始まる。おお、いきなり小原鉄心かと、歴史好きの私は大喜び。前著でも、関税自主権や東武鉄道史が重要な意味を持っており、面白くてたまらなかったが、本書ではさらに深く歴史に踏み込んでいる。まず、支那料理屋の「ヤキソバ」(一般の焼きそばと区別するためにカタカナ表記になっている)、「長崎皿うどん」、「炒麺(チャーメン)」について徹底的に調査。その過程で「上海風やきそば」の本来の名前が「寧波炒麺」だったことを突き止めたりする。とにかく新しい情報が後から後から出てくるので、ページを繰る手が止まらない。

 とはいえ調査には限界がある。大衆的な食べ物がいつ生まれたかなどは、そもそも気にする人が少なく、断片的な資料を突き合わせるしかない。はっきりとした証拠がある方が稀である。ここで感心するのが、著者の姿勢だ。

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