『十五少年漂流記』『ジョン万次郎漂流記』に連なる一作に? 直木賞作家・西條奈加の『バタン島漂流記』を読む

 一方の有人島のパターンも、サバイバル・ドラマであるが、異国人との文化衝突など、人間ドラマの要素がメインになる。本書もそうだ。ファースト・コントクトの失敗から、過酷な下男生活に入り、日々が過ぎていく。いつの間にか仲間をふたり失ったのも、現地の文化ゆえである。そんな中で、故郷に帰るには、どうすればいいのか。ここで主人公の和久郎の設定が生きてくる。また、臆病だが真面目な彼の魅力が、どんどん引き立ってくるのだ。和久郎たちはどうなるのか。先が気になって、ページを繰る手が止まらない。

 「颯天丸」の十五人という人数や、漂流期間が二年間というのは、『十五少年漂流記』を意識したものだろう(ちなみに『十五少年漂流記』の原題は『二年間のバカンス』である)。だが和久郎たちは子供ではない。漂着した島も、自分たちで何でも決められる無人島ではない。たしかに後半の展開にはワクワクさせられるが、同時に現実の苦さが常に纏わりついているのだ。それでも和久郎にとって、漂流した仲間たちとの時間、現地の子供たちと触れ合った時間は、何物にも代えがたい大切なものであった。

 どこに行きつくか分からないという意味では、人生そのものが漂流みたいなもの。ならば和久郎のように、振り返った時に大切だと思える時間を得たいものだ。本を閉じて、そんなことを思った。

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