綾辻行人×下村敦史『そして誰かがいなくなる』対談 「作家がミステリの舞台になる家を本当に建てるなんて」
実際の家と架空の世界が地続きになる「妙なリアリティ」
――下村さんの新刊『そして誰かがいなくなる』を読んで、綾辻さんはどのように思われましたか。
綾辻:プロットが何重にもひねられていて、特に終盤では翻弄されました。着地点の予想がつかなくて、最後まで飽きずに引っぱられましたよ。とても楽しかったです。
下村:ありがとうございます。
綾辻:ちょっと意外な気もしましたね。下村さんの作品はもっと現実寄りというか、リアルな社会問題なども絡めつつトリックを仕掛けてくるイメージだったから。ところが、この作品はまったく違うでしょ。「ここまでお遊びに徹したものも書くんだ」という驚きがあって、嬉しくもありました。こういうタイプのミステリもお好きなんですね。
下村:はい。やっぱり僕は「自分はエンタメ作家だ」と思っていて、「誰かを楽しませたい」って気持ちがつねに原動力なんです。10代の頃はマジックにハマっていましたし、ミステリも、この家を建てたのも、同業者、編集者、ミステリが好きな人たちに「楽しんでほしい」「ネタにしてもらいたい」一心で。それで全力を傾けたんです。この新刊は、小説で楽しませたい気持ちと家を掛け合わせた感じですね。
綾辻:実際に建てた家とフィクションが地続きになっているという、不思議な生々しさが面白いですね。登場人物がミステリ作家や編集者ばかり──という、本格ミステリではおなじみの設定にも、だから妙なリアリティがあります。僕が「館」シリーズを書くときは、現実からは少し離れたところにある種の“異界”を作ろうとするんですよ。ところが下村さんのこの作品は、実在の自邸を舞台にしていることもあって、現実との地続き感が強い。そこが面白さでもあります。
僕は出版業界に長くいるから、「これはあくまで作り話。こんなことは実際にはない」と了解したうえで楽しめるわけですが、一般の読者はもしかしたら、「下村さんの周りの作家や編集者はこんなひどい連中ばかりなのか」と誤解するかも(笑)。そのあたり、書きにくくはなかったですか。
下村:特に書きにくくはなかったです。と言うのも、自分の家を舞台にしているだけで、物語としては完全にフィクションとして登場人物を設定していたので。そんなに悩むことはなく、いつも通りにキャラクターを動かしていました。実は、文芸Webサイト「BOC」(ボック)での連載中の主人公は別人だったんです。
綾辻:あ、連載中は違ったんだ、主人公。
下村:そうなんです。連載が終わって、担当者からある改稿の相談をされました。ただ強引すぎるし、読者も不自然に感じる気がして「さすがにそれは……」と、そのときは回答を濁しました。
でも打ち合わせのあと、「せっかくだし、そのアイデアを活かせないのかな」と考え、最後のオチがひらめきました。連載中には入っていない、単行本で足した部分です。
綾辻:あのオチはうまく効いていましたね。良い感じで洒落になっていて、思わず笑ってしまいました。
作家たちを悩ませる「縛り」の問題
――「館」を舞台にした、いわゆる「館もの」と呼ばれるミステリ作品を書く際、どのあたりが難しいでしょうか。
下村:登場人物がその場から動けない面をポジティブに感じるシーンもあれば、「どうやってイベントを興そうか」と苦労したシーンもあり、っていう感じでした。なにより「事件を起こす必然性」が生みにくい。そのぶん、登場人物それぞれの視点を変え、いろんな思惑を持たせながら、なんとか、なんとか、書きましたね。
綾辻:『十角館の殺人』は孤島ものなので、建物の外へ出て島のあちこちを描くこともできたんですが、たとえば『迷路館の殺人』になると、地下の館に閉じ込められて一歩も外に出られないという設定でした。するとどうしても同じような“絵”(=場面)が続いてしまいがちだから、単調にならないように、読者が退屈しないように、という工夫が必要になりますね。
下村:「密室」という設定も、捉え方が難しいですよね。
綾辻:時代設定による縛りもありますね。1987(昭和62)年に『十角館の殺人』でデビューした当時は、インターネットはまだなかったし。通信機器は電話とFAXだけ。防犯カメラも珍しいという時代でした。当然、現代と比べて書きやすい部分もあれば、書きにくい部分もあります。「館」シリーズは1960年代から20年ほどの期間に建てられた家を舞台にしているので、最新の電子機器やコンピューターを使った“仕掛け”は出せない。今となると、この縛りはけっこうしんどいですね。