読者家注目、青崎有吾も好むシャーロック・ホームズ 今とは全く異なる“世界一有名な探偵”の初期キャラ像
シャーロック・ホームズという人物 その生い立ち
まずは筆者の手元にある小池滋、青木康(編)『イギリス史重要人物101』を開いてみる。同書はタイトルの通り、イギリス史における重要人物101人が紹介されいるのだが、101人の中に実在が考古学的に証明されていない人物が3人含まれている。アーサー王、ロビン・フッド、そしてシャーロック・ホームズである。
残りの二人は伝説上の人物であり実在を示す証拠は無いが、実在しなかったことを示す証拠もない。対してホームズは出自のはっきりしたフィクションのキャラクターである。にもかかわらず、この世界にはホームズが実在の人物であると信じている人々が一定数存在する。
彼らはコナン・ドイルの残したシリーズを「ホームズの親友で助手だったジョン・ワトソンが書いたものをエージェントであったコナン・ドイルが出版した物」と主張し、ホームズを実在の人物として研究している。「シャーロッキアン」「ホームジアン」と呼ばれるそういったマニアたちは、ドイルの原作からホームズの経歴を調査し、生年から公式な記録が途絶えるまでを年表にまとめている。
小林司氏、東山あかね氏のご夫妻はわが国でも特に高名なホームジアンであり、ここでは両氏の著作『シャーロック・ホームズ入門百科』に記載されているホームズの経歴を紹介しておく(※ホームズの生年は原作に明記されておらず、諸説ある。小林、東山のご夫妻はアメリカの高名なホームズ研究者 W・S・ベアリング=グールドの説をベースにしているようだ)
・1854年生まれ。兄のマイクロフト・ホームズは1847年生まれ。
相棒のワトソンは1852年生まれ。
・出身はイングランドの北ライディング説があるが明確な描写なし。・先祖は地方の大地主(『ギリシャ語通訳』に描写あり)
・兄のマイクロフト・ホームズはイギリス政府の高官。
桁違いに鋭敏な頭脳を持つシャーロックが認めるほどの切れ者。
・オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学の総称)卒。
ただし、どちらの大学を出たのかは不明。・1877年から1903年までロンドンで私立探偵として活躍。
探偵を開業した当初はモンタギュー街に間借りしていた。・1881年にセント・バーソロミュー病院で出会ったジョン・H・ワトソン医師と、
ベイカーストリート221B ※当時は存在しなかった番地)のハドスン夫人の家に下宿。
『緋色の研究』に描写あり
・ワトソンはホームズの助手を務める傍ら、事件記録を執筆し発表。
一部を除き、シャーロック・ホームズシリーズはワトソンの記録と言う体裁を取る。・1891年、悪の帝王、モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハ滝へ転落。
『最後の事件』に描写あり・一時消息不明となるが、3年後にワトソンの前に姿を現す。再び二人はコンビに。
『空き家の事件』・1904年に引退するが、政府に乞われ1914年までスパイとして活躍。
『最後の挨拶』
読者諸氏には意外な点も意外でない点もあったと思うが、年表を改めて見ると、実は原作初期の頃のホームズはまだ20代後半の若者であったことは多くの人にとって意外だったのではないだろうか。
シャーロック・ホームズは様々な舞台や映像媒体でビジュアル化されているが、特にホームジアンの間で「正統派」と評判が高いのはピーター・カッシングとジェレミー・ブレットの二人である。
ピーター・カッシングが初めて『バスカヴィル家の犬』(1959年版)でホームズを演じた時、彼は40代前半だった。その後、BBCのテレビシリーズ(1968)16エピソードで再演したがその時点で50代である。
グラナダTVの『シャーロック・ホームズの冒険』開始時、ホームズを演じたジェレミー・ブレットは50代前半だった。
これらはいずれもファンの間で「正統派」と評価されており、一般的にホームズは「成熟した壮年のおじさま」のイメージが強いようである。しかし、実際のところ若者のホームズは原作設定に反していない。
ロシアで制作された「新ロシア版ホームズ」こと『名探偵シャーロック・ホームズ』はこのホームジアンたちの研究結果を踏襲し、27歳とかなり一般的なイメージより若くキャラクターが設定されている。さらに同作は相棒のワトソンが42歳の設定で、二人が年の差ながら好愛称を見せる斬新な解釈を見せている。
舞台を21世紀のイギリスに設定変更したテレビドラマ『SHERLOCK』は放送初期のころ、ホームズを演じたベネディクト・カンバーバッチはまだ30代前半だった。これも原作設定から考えるとむしろ正当だ。
宿敵・モリアーティ教授を主人公にしたマンガ『憂国のモリアーティ』でもホームズは若い姿で登場するが、実際のところ『憂国のモリアーティ』も原作設定には反していないのだ。
ホームズの活動期間は長かったが、公にされている記録は1914年までであり、それ以降の姿は正典(コナン・ドイル自身が執筆したシリーズ)に登場しない。
ただし、一部のパスティーシュ作品に描写があり、ミッチ・カリン(著)『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』には1947年を舞台に93歳になったシャーロック・ホームズが登場する。
以降の経歴にはファンの願望も交えたトンデモ説があり、ホームズは今も生きていて南イングランドのサセックスでミツバチを飼育して生活しているとのこと。ホームズは蜜の効能で老いることなく、謎の事件解決にそっと手を貸しているとのことだ。
この設定、アーサー王がアヴァロンで眠り続けており、国難の際に復活すると言われているアーサー王伝説のようである。出自の明確なフィクション(ホームズ)か不確かな伝説を発祥(アーサー王)とするかの違いはあるが、イギリス人はアーサー王とホームズをどちらも国を代表する英雄として受容しているようである。