杉江松恋の新鋭作家ハンティング 北沢陶『をんごく』は満点をつけられるデビュー作
すべての謎が解けたときに襲い来るのは深い哀しみだ。中心にあるのは壮一郎と倭子の関係であり、二人が死別して二度と夫婦としては暮らせないということがその哀しみの源泉になっている。謎解きの論理と、物語の悲哀とがこれ以上ない形で結合している。しかもそれだけではなく、エリマキという異能の持ち主を登場させたことによる伝奇ロマン的な活劇の要素もあり、船場文化を綴った民俗奇譚の色もあり、あらゆるものが結末を盛りあげるための撚糸となって集束していく。読みながら心が躍るのを感じた。派手ではなく、どちらかといえば穏やかな筆致であるが、心の中に火を灯すには十分なほどの熱量がある。
船場。そう、船場文化なのである。物語は船場以外のどこでも成立しなかっただろうという強い確信を抱かせるほどの、場所の説得力がある。壮一郎は孤独な主人公である。彼がそうした境遇になったのは、名家に生まれながら、その中心にいることができず、はぐれ者として外に出てしまったことが理由としては大きい。これは奇譚や冒険小説の主人公を描く際の常套手段なのだが、壮一郎がそうなった原因は船場だからである、と説明される——独自の風習が根強い船場では「ぼんが働いたら間違う」という考えから、長男が店を継ぐより、見込みのある者を養子に迎えて商売を任せることが多かった。だからいずれ店は姉の婿が継ぎ、私は父が亡くなれば家を出ることが生まれたときから決まっていた。
生まれながらにして家から出されることが決まっていた主人公が、自身の出自にも関わる謎に向かい合う物語なのである。船場の民俗は物語と密接に結びついた形で語られる。英国で誕生した幽霊小説の骨格に船場の民俗という肉付けが施されているのである。
『をんごく』という目を惹く題名の意味については、それが「遠国」から来ていることを記すにとどめよう。どこか遠く、自分が今いるこことは違うところへと去っていく者というイメージが本作を支えている。その寂しさと郷愁が強い風となって物語の中に吹いているのである。風は心を弄び、思いもよらなかった場所へと誘う。
やはり完璧である。巻末の選評では選考委員の米沢穂信が「この小説に授賞できなければどうしようと焦りさえ覚えていた」と書いている。その気持ち、痛いほどよくわかる。『をんごく』は人に読まれるべき小説であり、北沢陶は世に出るべき書き手なのだ。