杉江松恋の新鋭作家ハンティング 江戸川乱歩や宮沢賢治らが登場する連作ミステリー『三人書房』の誠実さ

 しっかりと自分の小説を書いている。

 柳川一『三人書房』(東京創元社)を読んでそう感じた。自分の小説、というところに少し説明を足す必要がある。

 五篇から成る連作ミステリーである。2021年に第十八回ミステリーズ!新人賞を獲得したのが表題作で、『紙魚の手帖』一号に掲載された。二作目の「北の詩人からの手紙」は同四号に載って、以降の三作はこの本のために書き下ろされた。

 「三人書房」という題名を見て、おおっ、と思う人はちょっとした探偵小説マニアだろうと思う。平井太郎こと後の江戸川乱歩は、若いころに職を転々としていた時期がある。1919年2月からしばらく、弟の通(作家・平井蒼太)や敏男と共に森鴎外の観潮楼があったことでも有名な団子坂上、本郷区駒込林町で古本屋をやっていたのである。それが三人書房だ。

 当時の乱歩は三重県の鳥羽造船所を辞めて上京したところだった。造船所時代の同僚に井上勝喜という友人がいて、彼が三人書房の二階に居候していたという記述が乱歩の自伝『探偵小説四十年』(光文社文庫他)にあり、本作にも引用されている。短篇「三人書房」に登場する井上は、大の探偵小説愛好家で、いつかは日本のエドガー・アラン・ポーとしてこの国にもミステリーの火を燃やそうという大望を抱えた青年である。その井上と平井三兄弟が一つの謎に遭遇するのだ。

 三人書房ができた1919年は、年始からあるスキャンダルで大騒ぎになっていた。芸術座の看板であった松井須磨子が自殺したのである。芸術座を主宰していた劇作家の島村抱月が前年末にスペイン風邪で亡くなっていた。抱月と不倫の関係にあった須磨子は後を追ったものと見られていたのだが、その死に関して新事実が発見される、というのが「三人書房」の始まりである。通と敏男が池尻周一という男から買い取ってきた本の中に手紙が挟まっていた。その文体が、須磨子の遺書を連想させるものだったのである。手紙の内容を解読すれば須磨子の死に関する通説を引っくり返すことができるのではないか。そう気づいた井上は、太郎と共に謎めいた文案の背後にあるものを推理し始める。

 暗号小説というほど手紙の文面は不可思議なものではないので、その内容をどういう精神状態の者が書いたのか、ということが中心の興味になる。それを押していくと、行き着いたところで意外な風景が見え始めるのだ。なるほど、そういうことか、と人間心理の複雑さを感じさせたところで話が終わる。こうした小説の場合、大正の空気と令和のそれとは遠く離れていることが普通なので、描かれた登場人物の肖像にはどうしても時代感がつきまとってくる。昔の人だからねえ、と思ってしまうということだ。それがなくて、心理の綾が我がことのように感じられるのが本作の美点だろう。歴史的叙述を壊すことなく、さりげなく現代にそれを近づけているのである。派手さはないが、小説としては誠実で巧みである。

 続く「北の詩人からの手紙」は、題名からも察せられるとおり、東北地方が産んだ大詩人が重要な役回りで登場する。誰あろう、宮沢賢治だ。賢治は1896年、岩手県生まれ、乱歩は1894年、三重県生まれ。年齢こそ近ものの接点があまり思いつかないが、実は、1918末から翌年3月まで賢治は入院した妹トシを看病するため在京していたのである。その間に同じ浮世絵好きという共通点のある乱歩と交流があった、という設定だ。本作で扱われるのは、浮世絵研究の第一人者が写楽の贋作売買に関わったという事件で、事実関係の整理と共に、当事者の動機が取り沙汰される。それが「北の詩人からの手紙」、すなわち賢治からの示唆によってするすると解けていくという仕組みである。三人書房に顔を出していた当時の賢治はまだ詩人でも童話作家でもないが、自分はこういう作品を書くつもりだ、と断って後の有名作品のプロットを手紙で伝えてくる。いかにもありそうなことで、史実を虚構を綯い交ぜる作者の手際が実に良い。本書でいちばんの出来はこの短篇ではないかと思う。

 次の「謎の娘師」はオペレッタが盛んな頃の浅草が舞台で、奇妙な方法で家に忍び込む怪盗の物語である。「秘仏堂幻影」は日本における美術史学の開祖である岡倉天心にまつわる話で、教え子の一人である横山大観が中心人物となる。天心は日本藝術大学の前身である東京美術学校の創立に尽力したが、政変によって追われ、大観らと共に日本美術院を発足させた。後半生は必ずしも穏やかではなかったのであり、その彼にまつわる謎に乱歩が関わるのだ。最後の「光太郎の〈首〉」は題名からわかるとおり、高村光太郎の作品ばかりが連続で盗まれ破棄されるという、ドイル「六つのナポレオン像」を思わせる事件が描かれる。

 五作すべてに歴史上の有名人が顔を出している。「秘仏堂幻影」では上に名前を挙げなかった著名人がもう一人関わり、その歴史上の謎についておもしろい仮説が呈示される。どれも人間のつじつまが合わないように思える言動についての物語であるが、乱歩が示す角度から事態を再観察すると要所にピントが合い、すべてが明瞭に見通せるようになっていくのである。故・北森鴻の生んだ民俗学者探偵・蓮丈那智シリーズを私は連想した。

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