林真理子はなぜ『風と共に去りぬ』を描きなおしたのか? 悪役令嬢な「スカーレット」に託した本音

 マーガレット・ミッチェルが残した、唯一の小説『風と共に去りぬ』は、1936年に出版されるや驚異的な人気を獲得し、世界各国で翻訳された。また、1939年に、デヴィッド・O・セルズニック制作で映画化。主役の、スカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーを、一躍、スターの地位に押し上げたのである。小説は読んでいなくても、映画を観たという人は多いだろう。

 その『風と共に去りぬ』の世界に挑んだのが、林真理子の『私はスカーレット』(小学館)だ。大きな特色は、スカーレットの一人称で、『風と共に去りぬ』を語り直したことであろう。個人的には、歴史小説と同じ手法が使われているように感じられた。もう少し詳しく説明しよう。歴史小説とは、まず史実があり、それをベースにしながら、人物や出来事を独自に解釈した物語が創り上げられている。つまりは歴史の二次創作なのだ。

 そして本書で史実に相当するのが、『風と共に去りぬ』そのものである。マーガレット・ミッチェルの物語をベースにして、作者は“私のスカーレット”を創作しているのである。『正妻 慶喜と美賀子』や『西郷どん!』といった、優れた歴史小説を執筆している作者だから書くことができた作品といっていい。

 さて、本書の内容に触れる前に、『風と共に去りぬ』の簡単な粗筋を記しておこう。物語の主な舞台は、ジョージア州にあるタラという大農園とアトランタだ。大農園の娘のスカーレットは、驕慢な美少女。自分と同じ上流階級のアシュレ・ウィルクスが好きだが、彼はいとこのメラニーと婚約している。アシュレに想いを打ち明けるが上手くいかず、しかもレット・バトラーという評判の悪い男に、一部始終を目撃されてしまった。

 その後、スカーレットは当てつけで、メラニーの弟のチャールズと結婚。だが南北戦争が始まり、チャールズはすぐに死んでしまう。チャールズの子を妊娠していたスカーレットは、十七歳でウェイドを出産。若くして未亡人となった彼女はアトランタに出るが、激化する戦争が人々の人生を大きく変えていくのだった。

 本書は、この『風と共に去りぬ』のストーリーを踏襲している。だから原典を知っている方が、楽しめることは間違いない。しかし知らなくても大丈夫。読み始めれば、すぐに物語の世界に入っていけるのだ。そしてまず、スカーレットのことを、嫌な娘だと思うだろう。

 そう、大農園の娘として登場するスカーレットは、本当に性格が悪い。自分が美しいことを理解しているのはかまわないが、常に自己中心な思考で他人を見下す。男子にもてることが大好きで、誰にでも気のあるふりをする。そのため人間関係を引っ掻き回され、スカーレットを恨んでいる少女は少なくない。同年代の少女で味方といえるのはメラニーだけ。でもスカーレットはメラニーを、詰まらない女だと思っている。アシュレが本当に好きなのは自分だと確信している。それがスカーレットの自信満々の一人称で語られるのだから、辟易させられるではないか。

 これはあれだ。ネット小説の悪役令嬢ものなどで、ヒロインぶって読者のヘイトを集める自己中女そのものだ。だからスカーレットが、いつ“ざまぁ”されるかと、妙にワクワクしながら読み進めてしまった。そしてアシュレに振られるシーンで、喜んでしまったのである。

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