考古学者・河江肖剰「研究者にとって執着心はすごく大事」 傑作ノンフィクション『ヒエログリフを解け』を読んで

 『ヒエログリフを解け:ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース』は、ナポレオンのエジプト遠征で発見された黒い石碑“ロゼッタストーン”に刻まれたヒエログリフの解読劇を描く傑作ノンフィクションだ。解読レースの軸になるのは物理学から音楽まで幅広い分野に圧倒的な才能を発揮したイギリスのトマス・ヤングと、一心に古代エジプト研究に打ち込んだフランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンというふたりの天才学者である。

 ミステリ・SF・ファンタジー・ホラーの専門出版である東京創元社から刊行された本書は、アメリカ探偵作家クラブ賞受賞作家のエドワード・ドルニックの筆によるもの。ヤングアダルト小説を中心に数多くの翻訳を手がける杉田七重の翻訳も読みやすく、読み始めたら止まらない作品だ。

 そんな本書は、古代エジプト研究者にとってどのように映るのか。YouTubeチャンネル『河江肖剰の古代エジプト』でもお馴染みの考古学者・河江肖剰氏(名古屋大学高等研究院准教授)に『ヒエログリフを解け』に語ってもらった。

まるで冒険小説のように楽しめた

――『ヒエログリフを解け』を読んでどのように感じられましたか。

河江:歴史的背景がビビットに描かれているのがすごく魅力的でしたね。私自身、ヒエログリフの解読にシャンポリオンやヤングといった研究者が関わっていたことは知っていましたが、実際に彼らがどういう人物で、両者にどんなやりとりがあったかは知らなかったので、新たな発見がたくさんありました。単なる歴史的事実を羅列するのではなく、人間味が感じられるシーンが多々描かれているのも面白い。「こいつはこんなに嫌なやつだったのか!」とか(笑)。全編を通じて、比喩が巧みで読みやすいのもポイントですね。研究書であれば、現代的な例えで説明をするのは誤解を生みかねず、慎重にならざるを得ないのですが、この本はそういう制約のないノンフィクションで比喩もバンバン使えるから、まるで冒険小説のように楽しめる。

 ヒエログリフが刻まれたオベリスクを3年かけてイギリスに持ち帰ったウィリアム・バンクスや、ヒエログリフ解読の重要な手掛かりを盗掘したジョバンニ・ベルツォーニなど、さまざまな人物が関わりあうことで謎が解けていくくだりも実に面白かったですね。シャンポリオンのような天才の活躍だけでは解読できず、偶然の積み重ねが解読につながっているのも興味深かったです。

――『河江肖剰の古代エジプト』はチャンネル登録者数23万人を突破するなど、学術系のYouTubeチャンネルとしては異例の人気を誇ります。先生のチャンネルを観ていると、古代エジプトが本当にお好きなんだと感じます。

河江:ただ私は古代エジプト研究を生業とするかどうか悩んだ時期があります(笑)。ピラミッドに対してオカルト的な興味を抱いたことがきっかけでエジプトに渡り、歴史を学び始めたんですけれど、知れば知るほど浮かび上がってくるのは血生臭くもある人間の歴史なんです。そうなるとオカルト的な興味などすぐに胡散してしまう。でも、エジプトのどこかに引っかかるところがあり、執着心を持ち続けることができたのかなと思っています。

 今回『ヒエログリフを解け』を読んで改めて思ったのは、研究者にとって執着心はすごく大事だということですね。シャンポリオンがヤングより先に最終的な答えに辿り着けたのは、ヒエログリフへの執着が強かったからなんじゃないかと思います。

――河江先生ご自身は、ヒエログリフに対してどんなイメージを持っていますか。

河江:私の古代エジプトへの興味はピラミッドから始まりましたが、次に興味を抱いたのはヒエログリフでした。見た目の美しさや面白さもさることながら、実際に読んだり書いたりできるようになるのも魅力的でした。習い始めた頃、他の学生よりも上手に書けると喜んでいました(笑)。

本書から得られる、研究にとって大事なこととは

――シャンポリオンとヤングの解読レースは本書の大きな読みどころですが、河江先生ご自身は、一点集中型のシャンポリオンと、多才なヤングのどちらが自分と近いと感じていますか。

河江:難しいところですが、私自身はどちらも混ざっているような気がします。私は専門のピラミッド研究を追い続けていますからシャンポリオン的なところがありますが、ドローンによる三次元撮影など、新しい方法論も取り入れているので、ヤングの姿勢にも近い。

 謎解きは本として読む分にはすごく面白いけれど、実際に自分が向き合うとなるとめちゃくちゃ大変ですよね(笑)。研究は99パーセントが地味な努力の積み重ねで、とにかく根気がいる作業です。

 我々もドローンを使った空撮などをしているので、華々しいイメージを抱かれるかもしれませんが、実際にはかなり地味な仕事をずっとやっています。細かくデータを取って、それをチマチマと解析して、論文に落とし込むという作業の連続です。研究というのは失敗の積み重ねであって、何年も続けてきた研究がそもそも見当違いだったりすることだってありえます。それでも執念深く続けることでしか、真実には辿り着けない。その意味で、長年に渡って一つのことに向き合い続けるシャンポリオンの姿勢には共感しました。

――ピラミッドは当時の国家プロジェクトだったと指摘されていますが、そこから得られる教訓はあるのでしょうか。

河江:ピラミッドを研究していてよく思うのは、古代においても現代においても、人間の行いはあまり変わらないということです。古代の叡智というよりもむしろ、変わらない人間の愚かさみたいなものを強く感じます。大昔から人間は、これだけ巨大なものを作り上げる力があるけれど、一方で多くの犠牲の上に成り立っていて、何千年経っても学ばないのだなと思わされます。その変わらない愚かさを知ることが、現代への警鐘となる部分はあるでしょう。

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