漫画やファンタジーの王道設定「魔術」と「呪術」はどう違う? 歴史や名作から解説
ファンタジーは創作上における王道ジャンルの一つだ。古典的なところであれば『指輪物語』から現役連載作品なら『ブラッククローバー』、『マッシュル -MASHLE-』までファンタジーの例は挙げていくとキリがない。
さて、そのファンタジーの王道設定といえば「魔法、魔術」だろう。
作中において魔法や魔術は強敵を倒す武器になり、傷を癒す手段になり、日常生活をサポートするお役立ちアイテムになったりと万能ぶりを見せている。
魔法、魔術は今日の創作世界における常識であり、作中で魔法や魔術が働くメカニズムを詳細に設定し説明する作品(『魔法科高校の劣等生』などその顕著な例)はあっても、魔法や魔術が「そもそも何なのか?」を説明する作品はまずお目にかからない。
魔法や魔術の歴史に関する説明もまずお目にかからない。
しかし、創作は基本的に何もないところからは生まれない。
魔法、魔術にも現実世界に元ネタが存在する。
当たり前すぎて顧みる人は少数だと思うが、魔法や魔術が本来どのようなものであるか無謀にも紐解いてみることとする。
■魔法と魔術、呪術の違いは?
まず、熱心にファンタジーに触れてきた読み手たちならば疑問に思ったことがあるかもしれない「そもそも」の点を紐解いてみよう。
ファンタジーにおいて「魔法」と「魔術」はどちらも良く見る設定で、神秘の業である点は同じだ。
だが、作品によってその神秘の業は「魔法」と呼ばれる場合と「魔術」と呼ばれる場合がある。
この二つは何が違うのだろうか?
結論から言うとこの二つに違いは無い。
「魔法」は古くからある日本語であり、近代化において西洋から入ってきた"magic"の訳語として充てられたことで定着した。
魔術、妖術、呪術なども同様であり、基本的にこれらは同じ概念を指す。
ただし、「呪術」は学術上も別物として扱われる場合がある。
別物として扱う場合、魔法や魔術と比べてもより原始的なものを呪術と呼ぶ。
「呪いたい相手に似せた人形に釘を打ち込む」「呪いたい相手の毛髪、唾液、爪など体の一部を焼く、煮る」「呪いたい相手の名前を書いて釘を打ち込む、呪いの言葉を書く」などは原始的な魔術で世界中に類例がある。
これらは原始魔術であり、呪術とも言い換えられる。
イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーは『金枝篇』で、人形のような相手に似せたものを使うものを類感呪術(類感魔術)、相手の体の一部を使うものを感染呪術(感染魔術)と分類している。
呪術についてはわが国では丑の刻参りが特に名高い。
原始的な類感呪術をもとに江戸時代に広まった丑の刻参りは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込む儀式で、原始的な呪術の特徴を色濃く残している。
人気マンガ『呪術廻戦』に登場する釘崎野薔薇は藁人形と釘を用いる呪術を操っていたが、モチーフは間違いなく丑の刻参りだろう。
丑の刻参りは原始魔術の特徴を残す「呪術」なので『呪術廻戦』のモチーフには相応しいと言えるだろう。
なお、縁結びの神であると同時に縁切りの神、呪咀神としても信仰される京都の貴船神社は丑の刻参りの聖地として有名だが、深夜(丑の刻)の神社に忍び込む=不法侵入罪、ご神木に五寸釘を打ち付ける=器物損壊罪に該当する。
呪いで人を殺しても法では裁かれないが、丑の刻参りを実行することそのものが犯罪行為なので厳に控えよう。
名前も重要な要素だ。
草野巧(著)『図解 魔術の歴史』によると、「名前にはそのものの本質が宿っており、ある意味では相手の毛髪、爪よりも重大なもの」とのことだ。(本稿を執筆するにあたって『図解 魔術の歴史』を全面的に参考にしていることを断っておく)
長寿マンガ『夏目友人帳』は名前が相手の存在を縛るとの設定が採用されているが、この設定は名前を使った原始的な呪術にルーツがあると考えられる。
少々脱線してしまったが、まとめると魔法と魔術は同一の存在で、作中で「魔法」と呼ぶか「魔術」と呼ぶかは結局のところ作者の好みに依存することになる。
が、「魔法」よりも「魔術」と言った方がよりダークな世界観にそぐうような響きがする……気がする。
王道のファンタジー少年マンガ『ブラッククローバー』は熱血漢の少年が主人公で正統派なバトルマンガだが、こちらは「魔法」で雰囲気的にも「魔法」の方がしっくりくる。
アニメ化が決定している佐竹幸典(著)『魔女と野獣』は「魔術」で、血生臭くダークな世界観の同作にはこちらの言葉の方が響きが合っている気がする。
「黒魔術」とは言うが、「黒魔法」という表現は聞かないので世間的にも何となく「魔術」の方がダークなイメージがあるのかもしれない。
魔法と魔術を別物として扱う作品もある。
「fate」シリーズを初めとするtype-moonブランド作品とヤマザキコレの人気マンガ『魔法使いの嫁』では魔法は魔術の上位互換的存在として描かれている。
『魔法使いの嫁』よりもtype-moonブランドの方が歴史は長いので、ヤマザキコレ氏はtype-moon作品を意識したのかもしれない。(ちなみに、同氏はtype-moonブランドのアプリゲーム『Fate/Grand Order』で一部イラストを手掛けている)
「魔力」「マナ」といった用語もよくファンタジーで用いられる。
『ブラッククローバー』や「fate」シリーズなど多くのフィクションで「魔力」の事を「マナ」と呼んでいるが、意外な事に「マナ」という言葉はヨーロッパが起源ではない。
メラネシアやポリネシアで信じられていた宗教概念で、超自然的な力の事を指す言葉だ。
フィクションの世界でこの「マナ」をRPGで魔法を使った時に消費するMPのような存在として描いたのはSF作家のラリー・ニーブンによる『魔法の国が消えていく』が初めてで、以降、他国の作品へと広がっていくことになる。
ところで「マナ」は中国を起源とする東洋思想の「気」に酷似している。
「気」も『ドラゴンボール』を初めとする数々のフィクションに登場する。結局、人類の考えることは何となく似てくるのだろう。
なお、ややこしいため以降は「魔法」ではなく「魔術」と表記する。
指しているものは同じだが、オカルト史を紐解くと「魔術」と記載されている場合の方が多いように感じるためである。