鈴木涼美×島田雅彦×宮台真司『ギフテッド』鼎談【後篇】「母の不在という名の影響はいまだに確実に受けている」
不在という名の影響
ーー『ギフテッド』の話に戻ります。実際にお母様を亡くした時、涼美さんはその死をどのように捉えましたか。
鈴木:私はちょっと昭和的な身体を持っているので、母親を倒すべき世間の代表として見ている部分はあったと思います。母親は70年代の人で生き方は自由だったけれど、性の商品化というところには厳しくて、私にとってはそこが唯一、立ち向かう壁になっていました。だから『AV女優の社会学』にしても、『身体を売ったらサヨウナラ』にしても、母親への反論であり、言い訳であり、私の意見表明という部分が強かった。一方で、父親は別に壁でも論敵でも目標でもないというか(笑)。
母親が亡くなったら、書き手としての私にとって、倒すべき相手がいなくなってしまうという困惑や危機感はありました。襖を開けたら一体になってしまいそうな母と娘の関係みたいなものが、ようやく死によって閉まるというか、母の死をきっかけに否応なく自立していくところまでは『ギフテッド』で書いているけれど、倒すべき敵ないし味方が失われた後にどうするべきかというところは、この先の物語なのかなと思います。
島田:文学を成立させる大きな物語の1つに、父殺し、母殺しがあります。父殺しというのは、わりと簡単なんです。何故かというと、父はイデオロギーの体現者なのであって、そのイデオロギーを打ち負かせば勝てるんですね。あるいは、そのイデオロギーは自然消滅するというか、時代の移ろいとともに古びていくし、無効になっていくから。新しい時代のイデオロギーを持ち込めば、父殺しは割とすんなり済む。だけど、母親の場合は必ずしもイデオロギーの体現者ではなく、もっと感情的なもので、ヒステリーをどう鎮めるかという問題に近いのかもしれない。治療したほうがいいのか、あるいは我慢しなきゃいけないのか、とにかくあの手この手でやるんだけれど、これといった特効薬がない。だからこそ、文学を成立させる物語としては、母殺しの方がやりがいはあるかもしれない。
宮台:フロイトに従えば、性的退却とは、文字通り性交を忌避することではなく、自分は愛に耐える力がないという思いによって、「私を見て!」というヒステリー方向と、「男は敵だ!」と叫ぶような無意味な反復で不安を埋め合わせる神経症方向と、着衣や設定に固着するフェティシズム方向に分岐することです。ヒステリーは「ちゃんと見てあげる」つまり「同じ世界」に入ることで鎮められるものです。
僕も16年前にがんで母をなくしました。緩和療法が進んだ今、がん死はハッピーな死です。母は余命半年の告知で2年半生き延びたので、その間いろんなものを精算できた。財産だけでなく、人間関係のもやもやについても話しておくべきことを話せたし、やり残したことを考えられました。それで物事が解決しなくても、デッドラインまでに母が自分の人生を物語として描き出せます。問題はその後です。
島田:その意味で『ギフテッド』は第一章なんですよね。つまり、母親が亡くなって一度、幕は閉じるけれど、その語り手は生き続けて母親の年齢に近づき、だんだん老いていきます。加齢する中で、何らかの悟りを得たり、自分が無意識に母から受け継いだ何かを発見したりもする。つまり、がんで母を亡くしたことで色々と精算したり、一度は赦したりはできるけれど、娘の中で母との関係は継続していく。私小説というのはそういう意味では、死者を弔うという要素が結構入ってくる。だから、私小説は「死小説」でもある。ずっと続く死者との関わりを描くことが、そのまま第二章になったりします。
──この小説で象徴的なのは、やはり最後にお母様が詩を残すところだと思います。人が死んでも言葉や作品は残るじゃないですか。それが次を予感させると思いました。
鈴木:『ギフテッド』自体が、私にとっては七回忌そのものですね。死後に、母とは何だったのかということを考えるためのものでもありました。『ギフテッド』は赦しの物語ではあるけれど、かといってすべてを納得しているわけではないんです。私の母親は、私がしたことをまったく許さず、むしろ死ぬ2年前位には、そのことについて考えることが一つの研究テーマになったと言っていたけれど、それも成し遂げずに亡くなっていきました。児童文学者でありながら、素晴らしい本で育ったはずの娘をAV女優にしてしまったということは書けず仕舞いだったんです。死というのは大体そういう中途半端なもので、両成敗みたいなところがあるのかなとも思います。それでいながら、母親が死んでからだんだん顔が母親に似てきたんですよね……。不在という名の影響はいまだに確実に受けていて、母親が死んだからこそ、その存在についてすごく考えるようになったと思います。
宮台:「イエスは死してキリストとなりき」ですね。戦後の日本でも天皇を処刑しなかったのは、死によってさらに神格化されることを避けるためだったことがよく知られています。四十九日がある理由を考えると、物語化によって弔うプロセスが離別の痛みの緩和に必要だからです。故人と生き残った人たちの関係を、生き残った人たちが見定める。それを共通了解として物語化するのが、共同的な弔いです
こうして悲しみ・恐怖・怒りなどの離別からのダメージを薄め、新たな歩みに踏み出す。四十九日以降は、故人が今生きていたら新たな歩みについて何を語るか、何をどう見るかというところに向き合うようになります。死者が「見る神」として「残された人たちを見る」ようになるのです。そこで改めて深いところでの故人の影響を受け容れていく。涼美さんが次にどんな物語を書くのかが楽しみです。