虚構を超えた“戦争の現実” 戦争を知らないからこそ知っておくべき強烈漫画3選

※本稿では、『総員玉砕せよ!』(水木しげる)、『cocoon』(今日マチ子)、『夕凪の街 桜の国』(こうの史代)の結末について触れています。各作品を未読の方はご注意ください。(筆者)

 あなたはいま、ウクライナの地で起きている現実を、どういう風にとらえているだろうか。“遠い国の出来事”として他人事(ひとごと)のように感じているのか、あるいは、もしかしたらすでに世界的な戦争は始まっており、明日は我が身、と考えているのか。

 いずれにせよ、2022年の日本に暮らす私たちは――いや、少なくとも私は、「戦争」のことを何も知らない。

 むろん、私は、知らないことや、わからないことを知りたいと思う。そういう時は、実際に“答え”を知っている人に話を聞くのが一番いいのだが、残念ながら“戦争の現実”を知っている日本人の多くは、もうこの世にはいない。

 ならば、本を読むのがいいだろう。フィクションでもノンフィクションでもかまわない。戦争をテーマにした本を何冊か(1冊ではダメだ)読めば、はっきりとした“答え”は得られないまでも、目に見えない巨大な力に抗うための想像力を鍛え、自分なりの“選択肢”を増やすことくらいはできるはずだ。

 以下に紹介する3作は漫画――すなわちフィクションではあるが、虚構を超えた“戦争の現実”が描かれた、強烈な作品ばかりである。

『総員玉砕せよ!』水木しげる(講談社文庫)


 まず最初に、水木しげるの『総員玉砕せよ!』を採り上げたい。ご存じの方も多いと思うが、水木は太平洋戦争末期、激戦地である南方に出征しており、そこで左腕を失っている。

 「九十パーセントは事実」(「あとがき」より)という本作は、水木がその目で見た戦地での日常と、場合によっては彼も巻き込まれていたかもしれない、想像上の“地獄”を描いた物語だ。

 本作では、水木は「丸山二等兵」として登場する。日々、過酷な労働を強いられ、上官から意味もなく平手打ちを食らってはいるものの、最初の頃はまだ“死”は現実的なものではなかった(食料の調達中にワニに食われたりする者はいるが……)。

 たとえば、“占領”直後、美しい南方の景色を見て、ある者(おそらくは丸山)は呑気にこういう。「天国みたいなところだ」

 だが、実際はそうではないのだ。その地は、本当は、「全員が天国にゆく場所」だったのである。

 やがて米軍の猛攻により劣勢に立たされた日本軍の将校は、“玉砕”を決意、そして、実行する。そんななか、わずかに生き残った者たちもおり、丸山もそのひとりだった……。

 むろん、戦時下において彼らは、“生きていてはいけない人間”であり、師団司令部は、再度の玉砕を命じる。丸山もまた、そこでついに命を落とす。

 凄い作品だ。あらためていうまでもなく、丸山こと水木が南方で玉砕したという部分は、フィクションである(当時の水木は、空爆で左腕を失い、ラバウル近郊の傷病兵部隊で療養生活を送っていた)。

 それでも、彼は、漫画の中で自分を殺した。それはなぜか。本作を初読時、私はしばらくそのことを考えてみたが、結局わからなかった。もちろん、普通に解釈するならば、それは、死んでいったかつての仲間たちへの贖罪の気持ちの表われかもしれない。

 だが、水木しげるは、そんな柔(やわ)な作家ではないだろう。強いていえば、この、水木も含めた全員が死んだという“フィクション”を、彼は、読者に“あなたにも突然訪れる(かもしれない)理不尽な現実”として突きつけたのではないだろうか。

 物語の終盤、軍医の石山がこんなことをいう。「軍隊というものが そもそも人類にとって 最も病的な存在なのです」

 なお、本作の単行本にはいくつかのバージョンがあるが、いま手に取るなら、昨年発見された構想ノートの一部が収録されている、講談社文庫の「新装完全版」がいいだろう。

『cocoon』今日マチ子(秋田書店)

 今日マチ子には戦争をテーマにした傑作が何本かあるが、1作だけ選ぶなら、私は迷わずこの『cocoon』を推す。

 『cocoon』は、沖縄の「ひめゆり学徒隊」に取材した物語である。 主人公は、島いちばんの女学校に通う少女・サン。

 ある日、彼女は、仲のいい級友らとともに学徒隊(看護隊)の一員として、戦地に赴くことになる。そこで目にしたのは恐ろしい“戦争の現実”であり、彼女は想像の“繭”で、それに対抗しようとするのだが(サンの憧れの少女の名も「マユ」という)、突然、看護隊に解散命令が出され、さらなる“地獄”を経験することになる。

 自力で安全な場所へ帰ることを余儀なくされた少女たちが、前線を抜けられずに、サンの目の前でひとりずつ、命を落としていくのである(今日マチ子の可愛らしい絵柄で見せられる残酷な場面の数々は、衝撃的な印象を読者に残すことだろう)。

 本作は、いわば、そのサンによる“地獄巡り”の物語だといっていいが、最後の最後である少女に命を救われた彼女は、「繭」を壊して「羽化」することになる。具体的にいえば、友人たちの死を乗り越え、つまり、彼女たちのあとを追うことなく、地に足をつけて生きていく道を選ぶ。

 このラストの解釈もまた、(玉砕と生還の違いこそあれ)先の『総員玉砕せよ!』同様、難しいものがあるが、「想像の“繭”があったからこそ生き残れた」と考えるか、「現実と向き合うためには、いつか“繭”を自ら突き破らなければならない」と考えるかで(両者は必ずしも矛盾するものではないが)、読後の印象は違ってくるだろう。

『夕凪の街 桜の国』こうの史代(双葉社)

 最後に紹介するのは、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』だ。こうのといえば、アニメ映画にもなった『この世界の片隅に』がよく知られているが、もしあなたが彼女の作品を未読のようなら、まずはこちらを読んでみるのがいいだろう。

 なお、本書には(書名どおり)「夕凪の街」と「桜の国」という2作が収録されているのだが、本稿では、前者を紹介したい。

 「夕凪の街」の主人公は、平野皆実(みなみ)。原爆が投下されて10年後の広島で暮らす女性だ。一見、平穏な日常は戻ってきてはいるものの、彼女が“あの日”のことを忘れたことは一度もない。

誰もあの事を言わない
いまだにわけが わからないのだ

わかっているのは「死ねばいい」と
誰かに思われたということ

思われたのに生き延びているということ(「夕凪の街」より)

 そんな暗い感情を抱きながらも彼女は、あるとき、心の優しい男性と出会い、諦めていたはずの恋をする。そして……。

 ここから先の展開を書くのはよそう。しかし、ありきたりなハッピーエンドで幕が閉じられるわけではない、ということだけは書いておく。

 いずれにせよ、本作を読めば、“あの爆弾”が、1945年8月6日の朝だけでなく、その後も何十年にもわたり、じわじわと名もなき人々の心と体を殺し続けたということがよくわかるだろう。物語の最後で作者が書いているように、何度「夕凪」が終わっても、終わらないものはあるのだ。

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