鎌倉時代小説に新たな切り口ーー『女人入眼』が描く、大姫の秘められた悲しき過去

 無論、歴史の「事実」は動かせない。さらなる「悲劇」を目の当たりにした周子は、やがて失意のまま鎌倉を去ることになる。けれども、この物語には続きがある。そこで改めて浮かび上がってくるのが、「女人入眼」という本作のテーマなのだった。物語の序盤、東大寺の落慶法要の場で、天台座主・慈円(『愚管抄』の作者でもある)は、こんなふうに政子に語り掛けるのだ。「男たちが戦で彫り上げた国の形に、玉眼を入れるのは、女人であろうと私は思うのですよ。言うなれば、女人入眼でございます」。その後、鎌倉入りをすることになるとはつゆ知らず、たまたまそこに居合わせた周子は、そんな慈円の言葉に、自らの未来への漠然とした希望を重ね合わせながら、どこか晴れやかな気持ちで、その様子を見守っていたという。それから20年以上も経たのち、周子は鎌倉の地で、政子と再び相まみえることになる。「承久の乱」を経て、いまや「尼将軍」として鎌倉に君臨するようになった政子である。けれども、周子が思いを馳せるのは、その輝かしい「達成」ではなく、むしろ「玉眼」を入れるために彫られた「虚」であり、削り取られた木くずの「痛み」なのだった。永井紗耶子の『女人入眼』――本作は、多くの血が流された鎌倉の地に捧げる「レクイエム」のようであり、また「祈り」でもあるような、そんな一冊なのだ。

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