角田光代×Aマッソ加納が語り合う、使命と才能「一つのものを信じ続けられるということは強い」

長く続けられるのは間違いなく才能

角田:ご著書を読んで「この人、天才だ!」と思ったんですけど、そんな加納さんにも葛藤がおありだったんですね。

加納:自分が天才だなんて、まったく思ってませんしね(笑)。本当は、26歳くらいで売れたかったんですよ。でも全然日の目をみなくて「売れへんなあ!」と思いながら十年以上。ようやく最近はお仕事も増えてきましたけど。

角田:芸の世界で言う、天才性ってどういうことなんでしょう。

加納:そうですねえ。なにか偉業を成し遂げた、とかじゃなくて、おもろいことを言わずにはおれん、って、それこそ突き動かされるように芸人をやっている人は、天才だなと思いますね。それがいいか悪いか、ウケるかウケないかよりも先に、おもしろいことを言ってしまう。そういうふうにしか生きられないし、そういう自分を本気で信じている人は天才だな、と。

角田:そのなかで、長く続けるということも、才能に含まれますか?

加納:長く続けられるのは間違いなく才能ですね。私、若い頃から辞め癖があって。既存のものを捨てる作業がカッコイイと思っていた時期があるんですよ。執着していないよ、そんなものはすぐに手放せるよ、っていうスタンスが。でも大人になると、続けたほうがダントツでカッコいいんだってことに気づきますね。何か一つのものを、信じ続けられるということは、強い。角田さんは、仕事を辞めたいと思ったことはありますか?

角田:辞めたいと思ったことはないですけど、仕事の依頼がこなくなったらどうしよう、とは今もずっと思っています。

加納:それは芸人と同じですね。オファーがないと、出られませんから。

角田:加納さんは、そうやって20代も葛藤しながら、今まで続けてこられたのはなぜなんですか?

加納:ええと……誤解をおそれずに言うと、芸人がいちばん最高の仕事やと思っているので。でもそれは、芸人みんながそうだと思います。なかなか芽が出ないからと諦めて業界を去っていく人たちも、みんな、辞めたくないって言って辞めていきますから。お笑いを嫌いになって辞めた人は、少なくとも私は見たことがないです。

角田:それは、子どものころに何か強烈な……笑いの世界に魅せられたり、救われたりという経験があったから?

加納:それもあると思いますが、たとえば小学校のときにクラスでいつもおもろいことをしている奴がいて、みんながそれに腹を抱えてげらげら笑っていた、あの空間が最高だと思っているから、というシンプルな理由ですね。大阪出身だから、かもしれないですけど、あたりまえに〝笑い〟の満ち溢れていた日常を今も続けている、というだけなんです。だから人から見たら「大人になった今もまだやってんのかい!」って感じかもしれないですけど(笑)。

角田:私も若いころにお笑いの存在を知っていたら、人生が違ったかもしれないなあ、と思います。最近、それこそAマッソさんのYouTubeを見ていたら、次から次へと「これもあります」とネットが教えてくれるので、どんどん見てしまって、これは気を抜くと、たいへんやばいことになるぞと思いました。救いにもなるけれど依存もしてしまうと思ったんですよね。とくに若いころなら、なおさら。

加納:逆に、これまで生活するうえで笑うということがあんまり、急を要していなかったということですよね? その感覚が、私にはないので新鮮です。

角田:ああ、そうですよね……。お芝居を観たり本を読んだりして笑うことはあったと思うんですけど「笑いが足りない」と思うことは、確かになかった。

加納:「今日はめちゃくちゃいい日だったな」と思うとするじゃないですか。でもいい日だからといって、めちゃくちゃ笑ったとは限らないってことですよね。

角田:ああ、そうですね。笑いのない私の一日は加納さんにとっては暗黒の一日かもしれない(笑)。

加納:暗黒とまでは思いませんが(笑)、私にとっては、お腹ちぎれるくらい笑って立てない、みたいなことがあった日が、けっきょく最高だなって思ってしまうので。

小説の神様は裏切らないと信じたい

角田:おもしろい……。加納さんは、小説もお書きになっていますよね。楽しいですか?

加納:楽しいですけど、未知の世界にお邪魔させてもらっていますという感じですね。ネタだとセリフしか書かないので、地の文を書くというのがまた新鮮ですし……。あと、小説って、声に出して読むことが前提じゃないから、ちょっと説明っぽくなっても大丈夫なんだな、というのも発見でした。どうしても「現実にそのまましゃべれるかどうか」にこだわってしまっていたので。

角田:本当は、人が現実にしゃべっているように書けるのがいいと、私も思います。書きながらときどき、こんなふうにみんなが滑らかに考えていることを言葉にできて、しかも交換することができたら、戦争なんて起こらないはずだと考えてしまう。だからできるだけ、伝わりやすくならないように書こうとはするんですけど……でも、やっぱり、説明するようにも書いてしまって。難しい。

加納:いやあ、小説を書くのってほんと、なんていうか……気合いるよなあ、って思います。

角田:そうですね、気合ですね。

加納:これだけの長編を書くのも、どんな想いで書いたかっていろいろあると思うんですけど、でも最終的には気合なんじゃないかと思ってしまう……。同じ人間だから、想像することはできるといっても、自分と違う立場の、全然違う考え方の人を……わかりやすくいえば男性主人公の作品を書くのなんて、めちゃくちゃ気合いるやろなあ、と。アホみたいなこと、言ってすみません。

角田:いえ、でも、そのとおりだと思います。男性を書くのは、やっぱり女性に比べると、難しい部分がありますし。少し話がずれるんですが、男女の話でいうと、芸人さんの世界って男性社会のイメージが強いんですが、男性が敷いたルールの世界で生きていく難しさみたいなものは、あるんですか? それとも私たちが思うほど、違いはないのでしょうか。

加納:ないとは言いませんが、劇場は実力主義なので、あんまり男も女も関係なかったですね。お客さんは正直なので、おもしろかったら笑うし、おもしろくなかったら笑わない。男でも滑る奴は死ぬほど滑るし、女でも誰より笑いを生むことができたら、評価される。そういう意味で、厳しいけれど誰に対しても対等な場所だな、と思います。

角田:ああ、よかった。

加納:逆に、一般社会のほうが大変なことって多いんじゃないかなあ、と思います。私たちは別に、誰かに強制されて芸人をやっているわけではないし、舞台の上に立ってしまえばすべて自己責任で、なんのしがらみもなくふるまえる。まあ、テレビになるとまた話はちがうんでしょうけど。最近は、自虐とか、誰かに揶揄されることが、芸として成立しなくなってきたけど、自分たちがおもしろいと思っているもののなかから、社会的にあかんとされていることをピンセットではじいていく、という作業自体はこれまでもやってきたことですし、はじくものが一つ増えただけで、あんまり変わらないかなあ、と言う気もします。見た目で笑いをとるとか、自虐芸を強く押し出していた人たちは、悩んでいたりもしますけど。

角田:今は、ルッキズムの問題について、みんなが考えるようになっていますからね。私も、三十年前の自分の小説を読むと、これはなんにも考えずに書いた表現だなと感じることが多々あります。文庫化するときに直すことができればまだいいんですけれど、そのまま残り続けているものもたくさんあるわけで……これはいけないよね、これは考えないとだめだね、ということを一つひとつ勉強している最中です。

加納:その積み重ねは、世の中をいい方向に向かわせると思いますか?

角田:そう信じています。ただ、同時に、Aのことを書いただけなのに、Z方面から傷つきましたという声があがったりするので、難しいなあと思います。以前は、差別だとわからず不用意に使われていた言葉を、問題のあることだととらえられるようになったのはいいことだと思いますけど、同時に重箱をつつかれることもすごく増えたな、と感じていて。書く側としては、誰かをまったく傷つけないで書く、ということはもう不可能なのだと覚悟して、書き続けなくてはならないなと思います。そうでないと、こちらも傷ついていくだけですから。

加納:でも、書くのを辞めようとは思わない。

角田:そうですね。先ほど、加納さんが、本気でおもしろいことを言い続ける人が天才だとおっしゃっていましたが……私も自分を天才だとは思わないけど、本気で何かを書きたいとは思っていて。そうすればきっと小説の神様は裏切らないと、信じたいんです。……と言いつつ、裏切るかもしれないとときどき思うけれど(笑)、でもきっと小説の神様は存在すると信じているから、これからも本気で、頑張って小説を書き続けたいな、と思っています。

■書籍情報
『タラント』
角田光代 著
初版刊行日:2022年2月21日
判型四六判
ページ数448ページ
定価1980円(10%税込)
出版社:中央公論新社

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